私が中途視覚障害者なって16年になります。「これから先は誰かにお世話をいただかないと生活していけないのだ」と、障害者となった当初に受けた精神的ショックはいまだに克服されておりません。
同行援護従業者養成研修のなかで、受講生の皆様から「障害者となった当時を思い出し、自立生活をするために取り組んだ【身の回りの生活について】と、【公共施設と交通機関について】を披露してもらいたい」との要望がありました。そこで私の実体験をふまえ、前述の2項目に【苦しむ人を 理解して】を加え、全3回シリーズで掲載しますので参考にしてみてください。
【身の回りの生活について】
① 障害者としてどう行動すればよいか、手続きはどこへ行けばよいのか、「大変ですね」と慰めの言葉はいただくものの、誰も教えてはくれません。一般的に、家族の誰かが障害者になった場合、家族は語りたくない傾向にあります。そのため、こちらとしても尋ねることを遠慮してしまい、なかなか教えてもらう機会がありません。
私の場合、知人から居住する市役所の福祉窓口への相談を勧められました。最初、福祉課で「身体障害者手帳」の取得申請を行い、申請書類を受けとります。次に、通院する眼科の主治医に現在の病状を記入・証明してもらい、再度市役所に行きます。申請書類を提出して、都道府県知事から「身体障害者手帳」の交付を受けました。
② 次に、福祉課の窓口で視覚障害者が利用できる視覚障害者補助用具の説明を聞きました。地方自治体によって補助金の対象となる障害者補助用具や障害者の負担割合は異なりますが、まずは自立生活するための「白い杖」の申請です。自立行動の必需品であり、「白い杖」の携帯で自分が視覚障害者であると周りに知らせることができます。道路交通法では、視覚障害者の「白い杖」携帯は義務です。自分を守るだけでなく、自動車を運転する人にとっても交通事故防止となりますので、外出時には携帯を忘れないでください。
その他、視覚障害者補助用具として「読書拡大機・体重計・血圧計・時計」などがあります。音声で知らせる用具が便利なので、担当員と相談して申請してください。自動車を所持していれば、通院のための自動車税減免も受けられます。自動車を持たない人は、タクシー利用券の申請もできるので、相談窓口で問い合わせをしてみましょう。
③ 次に、自立生活するうえでの家族との取り決めについて。自分の身の回りの物はできるだけ今の場所から移動させないこと。日常の会話中「あれ、そこ、ここ、あっち、こっち、そっち」のような視覚障害者に伝わらない片方コミュニケーション(指示語)は、禁句とすること。次に、本人ができることは自分でするので、手助けは不要。本人から求められない限り、手助けはしない、などです。
例えば、生まれつき全盲または弱視の子をもつ両親は、子供のために何とか手足になりたいし、手助けもしたいと思うことでしょう。また、親が生きている限り最後まで側において生活を共にしたいと思うのが親心です。しかし、親が本人より長生き出来る保障はなく、頼りにしていた親を亡くした時の子の衝撃はより大きく、立ち直りも遅くなると想像します。ですので、冷たいようですが、健常者と対等に生きるための「自立の一歩」と捉えた対応をしましょう。
私が視覚障害者になった当時は定年後だったため、親から、東京から帰郷しての同居生活を勧められました。しかし、故郷を離れて40年以上。町の様子や環境も一変しており、とてもじゃないですが、日常生活をするのは無理だと判断し、しませんでした。実際、それを勧めた両親も既に他界しています。
研修でも幾度もお話ししていますが、私のような中途視覚障害者の強みは、今までの日常生活の“記憶”です。つまり今までいた場所や環境から逃げ出すということは、記憶の蓄積を無駄にすることを意味します。白い杖の使い方をはじめ、多々苦労はありますが、家族の協力を得ながら、「自立の訓練」と、繰り返しトライすることは、少しずつ自信につながっていきます。自立の道へと、以上のことをぜひ参考にしてみてください。
※【公共施設と交通機関について】、【苦しむ人を 理解して】については、それぞれ第15回、第16回にて掲載いたします。