定年の半年前に視覚障害者になり、『第二の人生スタート』に大きな狂いがありました。毎日が日曜日で自分の時間を自由に取れる日を目前にしていたのですが、類を見ない変更により、本当に「目の前が真っ暗」になってしまいました。先にも書いたことがありますが、その直後は何もする気がしないまま日々を送りました。でもある時、『今の自分』にあまりにも期待をかけすぎていたのではなかったのか?と考えるようになりました。「自分だけが何故」と思いがちですが、同じ境遇にある人が世の中には多数おられることに気がついたのです。視覚障害者になっていなかったら…と仮定した時、多分、定年後の人生は今とは明らかに違う新生活をしていたことでしょう。しかしそれが本当に自分の望んだ生活であったかといわれると、必ずや“良し”としたハッピーな日々であったかどうかは、少し疑問もあります。
それでもやはり、もし目が不自由でなければ…と考えてしまうこともありますが、原状回復はすでに無理であると主治医から宣告されているし、私自身もこれまでの治療経過で感じ、完治は不可能であると納得しているつもりです。であれば、今の生活を認めざるを得ないし、愚痴を言うのはナンセンスだと思うのです。それらが、考え方を「これでいいのだ」と思うことにした理由でもあります。赤塚不二夫さんのマンガ本『天才バカボン』の中に出てくる「バカボンのパパ」がよく使う言葉ですが、私には深くて重い意味を持つ言葉です。それは今回の出来事だけでなく、人生を振り返る「自分史」をたどると、“今の自分だ”と確信できるからです。
物心つき始めた「小学校」「中学校」の義務教育では、通学区域があるため好きな学校を選ぶことができませんでした。希望ができた「高校」の進路では商業高校を選択。貧乏生活で卒業後の就職を前提として選んだことが思い出されます。本人の希望は、高校は普通科、そして大学進学でした。現実的に大学進学は諦めたものの、就職後上京して夜学で目的を達成。もしかして、もしかすると、これこそ自分の人生設計が変わった源流かもしれません。
このように、もしかして、もしかしたら…、勤めた会社が、転勤が、あの時の海外転勤を受けていたら、お見合い結婚が、お相手が、子供が、買い求めた住宅地…などなど考えていくと、どれほど人生進路に違いがでるか、興味深くて面白い。しかし、どこまで突き詰めて仮想してみても、一時的な幸せ感はあるでしょうが、現状は変わらないのです。
これまで自分が望んでいた希望、野望は次々と崩れ去ったかもしれませんが、今静かに考えてみると、これまであったどの出来事も、丸くおさまっている現実を見て、やはり「これで良かったのだ」と思うのです。時間はかかりましたが、ここまでたどり着いた言葉として「これでいいのだ」と考え、今の一瞬、一瞬を大切に生きたいと思いました。
もし、赤塚不二夫さんが生きていたら是非問いかけてみたい。
あなたが視覚障害者のマンガ家になったとしたら「これでいいのだ」と言えますか?
無理でしょう?でも私は、あなたの明るいギャグマンガで早い立ち直りが出来ました…と ”話したいのだ!”
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