年齢と共に行動が鈍くなり、周りの人に迷惑をかけていないかと気にすることが多くなってきました。
例えば、コンビニやスーパーなどのレジでお金を支払う時、財布からお金を出すのが「遅い!」と後ろに並ぶ人から言われないかと、嫌み顔で自分を見ている光景が頭をよぎったり、電車の乗車券を購入する自動販売機前でまごまごしている年寄りを見て、「早くしろよ!」と後ろから声がかかるのではないかとついつい私まで慌ててしまいます。健康な方でもこれまで通りの速さで対応できないことが多くなってくるのですから、障害を持てばなおさらで、それは若くても同様、いつも周りから催促されているような気持ちでいる人が結構いると思います。
空港での入国手続き窓口においても、日本人と外国人との窓口が色分けされており、すみやかな処理がなされているのですから、それを参考にして、私たちの生活の中でも「ゆとりの窓口」というようなものを設置して頂けないかと思います。
特にスーパーにはたくさんのレジが並んでいますが、そのうち1箇所でも「ゆとりのレジ窓口」と書かれた「ステッカー」が貼り出されていると後ろの列に気兼ねすることなくゆっくり料金が支払え、おまけにレジ後の品物を持参のエコバックに入れてくれるというお助けマンを配置して頂けると、よりありがたい!!!のですが。押し付けのサービスでない「ちょっとした やさしさ」がお店にあると、全てのお客様に喜ばれる本当のサービスになるのではないでしょうか。こんな窓口があると我々も気楽に買い物ができ、購入する品数も増やすことができます。他のお客様にも窓口の目的が理解されれば徐々に並ぶ列が整理され、混雑の解消にもつながっていくのではないでしょうか。
階段の上り下りにさりげなく腕を貸してくれる人、ホームに到着する電車の行き先を「東京行きがきましたよ」と声をかけてくれる人、エレベーターが開くと「上にあがります」と、乗り込むまで扉の「開く」ボタンを押してくれている人、その一人ひとりが私にとっては「ゆとりの窓口」の役目を果たしていることに気付き、「ちょっとした やさしさ」を感じずにはいられません。
昔は町内にお節介役の年寄りが必ず一人か二人いたような気がします。学校帰りに道草している子供には「早くお帰り!」とたしなめ、年下の子供をいじめているのを見ると「こら!仲良くしなさい」と年上の子供を叱るなど、お節介かもしれないけれど、今思えば「ちょっとした やさしさ」だったような気もします。
事なかれ主義が強いのか、世の中ゆとりもなくなり、他人には声をかけることも少なくなりました。特に今の子供達は「知らない人から声をかけられてもついて行かない。お話はしない」と学校から指導され、完全に守られています。このまま子供達が成長すると、他人には興味を持たない無関心人間になりそうで少し寂しい気がします。「お節介になるかな」と気を利かさないで「声のボランティア(=ちょっとした やさしさ)なのだ」と、割り切る勇気も大切なのではないでしょうか。
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