2011年3月11日 14時46分、茨城県取手市に住む私、突然の出来事で、何が何だか分かりませんでした。歳のせいでふらつくのかと思いましたが、体が自然に揺れるのです。部屋にあるCDラックのCDが音を立てて落ち始めました。物の落ちる音と、家が揺れる音とが合わさって大きく鳴り響く…。今までに体験したことのない轟音に恐ろしさを感じました。しばらく部屋の隅に移動して揺れがおさまるのを待ちましたが、揺れはますますひどくなるばかりで、一向におさまりそうにもありません。
『だめだ!』と感じて2階の部屋から階段まで歩きましたが、あまりのひどい横揺れに立つ事がやっと、手すりをたどりながら、どうにか1階へ下りて外に出ることが出来ました。この間、台所にある食器棚からガラスの食器などが落ちて割れる音も加わり、恐怖は最高潮となりました。あれだけ慣れていた玄関までのコースですが、辿り着くまで途方もないぐらいに長い、と感じたのは過去にありませんでした。
ここまでの体験は全てが晴眼者とは違う面での恐怖でした。しかし、今回の震災では健常者であっても、同じ恐怖の時間を感じたことでしょう。むしろ見えていない私の方がスムーズな移動ができたのかもしれません。「どの程度揺れたら外に出るべきなのか?」を判断することは非常に難しく、それはもちろん視覚障害者でなくとも難しいことですが…、音の大きさだけで行動する私としてはまさに『恐怖』の一言に尽きました。今回の地震体験で学んだことは、玄関までの階段、廊下には物を置かない、ということです。物が倒れると行く手が阻まれ、次の行動が難しくなるからです。
また、外に出てからが問題でした。近くに公園があるのですが、そこまでの道程に障害物がなくて、安全であるかどうかが見えないからです。これまでにない長い揺れだったので、次々とご近隣の家からも人が外へ出て来ました。その内、揺れもおさまり、誘導をお願いすることもなく無事に今回の大地震を乗り越えた次第であります。
日頃、家内が、私が視覚障害者であることを隣人に話していたこともあり、親切に声をかけて頂き、人の優しさに大変感謝しました。自由行動は極力控えて、そのように声をかけていただくまで待つことも、時には大切だと実感したのです。
特に、今回痛切に感じたのは、人とのお付き合いがいかに大切かということ。地震当日、仕事に出ていた家内には安否を気遣う電話が何本もありました。遠くは故郷・岡山をはじめ、広島のお友達、日頃お付き合いのある奥様たちなど、次々と連絡が入るのですが、私には大阪にいる兄からの電話1本だけ。普段からの隣人とのお付き合いに対する心がけや心遣いにおける精神の違いが、こんな場面で露見したのです。この歳になって反省させられることしかりです。
安否確認の電話内容も心のこもった、温かい会話が聞こえてきました。
「人間“心”は見えないが、“心遣い”は見える。“思い”は見えないが、“思いやり”は見える、気は遣って役に立つ」。どこかで聞いた言葉に感激いたしました。「自分には出来ないことだから、今自分に出来ることを進んでやるべきだ」と再出発の力として頂きました。
最終的な東日本大震災の被災者数は未だに定まらず、原子力発電所事故の被害も加わり、ダブルパンチの震災になりました。被災者の方で、障害があるために避難するのに大変なご苦労された、との報道を聞くたびに、私は無傷で暖かい部屋に戻ることが出来た事を感謝しております。「必ず誰かは見てくれている、自分は一人ではないのだ」と学びました。
改めて、亡くなった方々に哀悼の意を表するとともに、幸いにも最悪の被害(命を亡くす)からは逃れた被災地の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
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