私が中途視覚障害者になっていることを知り、よき理解者でもある元職場の上司Tさんが私を元気づけようと、我家を訪ねて来てくれたことがありました。「定年後の人生計画が大幅に変わり、この先人生、どんなに暗いか…と考えるだけで寂しい」と愚痴をこぼす私に、Tさんは最近読んだ本の中で好きな言葉がある、とこんな話をしてくれたのです。
人生を楽しくするためには、3つの“き”をうえること。「根気・やる気・勇気」である。そして、3つの“とり”をかうこと。「ゆとり・やりとり・さとり」である。生きるためには、やはり「ゆとり」がないといけない。そして相手との「やりとり」で理解し、自分の器を「さとり」、大きくなること。今日、あなたとの会話の中には、あなたも私も楽しめない口癖「だって、しかしね~」の繰り返しが多くありましたヨ、とTさん。その言葉を聞いて、当時ハッとさせられたのを思い出します。
「ハッピーとラッキー」は同じように聞こえますが、実は意味には違いがあります。「ラッキー」は努力しないで幸せを感じ、「ハッピー」は相手も本人も一緒になって幸せを感じ取ることです。では「ハッピー」で楽しめる言葉とはどんな言葉でしょうか。「いいねー!じゃー、こうしよう!!」と前向きな会話を交わすための言葉です。人間、相手の不幸な話を聞くと「自分はそんな状態にならないゾ」と一瞬は何となく元気になるけれど、人の不幸で元気を感じるのでなく、自分の力で元気を起こすことで、他人との比較ではない自分の中での幸せ感を持つことができ、それこそが大切であるというのです。
それから自分が不幸であるという固定観念をもたないことです。例えば、1円玉の大きさを書いてもらい、それを実際の1円玉と比較すると、大きく書いた人が20%、小さい人が80%であるという調査結果があります。小さく書くということは、所詮1円硬貨なのだ、と過小評価をしている先入観があるからで、1円玉も同じ通貨であるという真実を見ていないこと自体にも問題があるのだそうです。1円玉を立体的に描く場合でも、前からみた1円を描く人、横から見た1円を描く人、様々です。そんな人を見て、ゆとりのある人だなとか、少し変わった人だな、など世の中いろんな人がいて、色々な尺度があることを私たちは知るべきでです。
人間は選択をすることができます。心を変えれば体質が変わり、行動も変わります。行動が変われば、習慣も変わり人格さえ変わることでしょう。そうすれば生き方も変わり、人生が変わり、果ては運命をも変えてゆくことができる。今の自分が変わると、自分の過去と他人は変わらなくても、未来の自分を変えることができるのだと私に話してくれました。そんなTさんは、それから半年後に肺がんのため64歳の若さで他界されました。医者から余命を宣告されていたかは分かりませんが、私に生きる力と喜びを最期に教えてくれたのです。
黒沢明映画監督作品で「生きる」の名作があります。主人公は市役所の職員でしたが、胃がんであり、医師から余命は知らされずに自らの死期をさとります。生きている間に自分が出来る事は何なのかを探し求め、市民の希望に沿う公園作りを手掛けます。橋の上から、死後の主人公が、最期の仕事として完成させた市民公園を一望し、満足気な表情をみせるラストシーンが非常に印象的でした。
もしかして、Tさんも天国から「生きる」私の姿を見て満足してくれているかも知れません。
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