毎年3月が来るたびに語られるであろう「3.11の東日本大震災」。 1000年に一度といわれる大震災から一年が経とうとしています。
震災当時、行政各省で昼夜を問わず緊急対策会議を開き、策を講じてきた「会議議事録」が残されていないという報道がつい最近ありました。地震、津波、避難・・なかでも安全神話であった原発に至るまで「事故対策マニュアル」がすべて「想定外」を理由とした責任回避の謝罪となり、これまでの緊急事故対策計画が脆くも失敗に終わった瞬間でもありました。その失敗は仕方なかったでは済まされませんが、事実を忘れることはより悪い事態を招きます。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざがあります。さらに、月日が経過すると人はつい傍観者として見ていることもあります。これは失敗を忘れ、同じ失敗を繰り返すことにつながります。だからこそ、晴眼者には視覚障害者と異なり「記憶より記録」が大切であります。(興味のある方は第1回コラムを参照下さい)
日々の出来事を個人的に記録したものに「日記」があります。私は、真実を忘れない為に日記を書いています。日記は、当日または接近した時点で記録することが大切。日数が経ってからの記録は、時に事実とは異なり、記憶が塗り替えられて記録されてしまうこともあるので、注意が必要です。また、私は第12回のコラムでも当日の恐ろしさを体験記載しましたが、はたしてこの一年、自分の改善「逃げ道の整理整頓をする」を忘れてはいなかったでしょうか?毎年この日を原点として、私自身失敗を繰り返さないよう日記を読み返そうと思います。
さらに、この一年間で今までにない体験といえば、見えないことの恐ろしさがあります。世に生きる者全てがまるで視覚障害者と同じ環境状態に置かれたのが「原発事故」でした。事故発生以来、見えない放射能汚染におびえる恐怖は、これから先何十年もつきまといます。水、魚、野菜、果物など一見変わりなく見えるものでも、安全だと納得できない限りは恐怖を感じることでしょう。また、常に身の回りにあるのが当たり前の空気は、当然のごとく肉眼では見ることができず、自由に移動もします。汚染された空気が自分にこないように出来ないものか…と一瞬でも考えてしまう自分に腹立たしさを覚えることもありました。
これから先2つの見えない恐怖にさらされながら生きていくわけですが、残りの人生レースを完走したいのでこれ以上の障害が立ちはだからないことを祈るばかりです。
先日福島で、村全体で避難していた村長の方が、放射能除染後には全村民に声をかけて戻ってきてもらい、震災前のような通常生活に戻したいと語っていました。かつて、精神分析学者であるフロイトは「生きていくには働く場所があること、愛する人がいること」この二つが必要であると残しています。ですが、はたして「失敗、あの日から一年」傷口はまだまだ深く、この診断を信じて村に帰り、生きていくことができるのか心配しております。
今日も愛用ラジオから国会中継が放送されています。社会保障と税との一体改革、震災復興予算についての質疑応答では、年金・福祉の改善についての追求質問をして頂いたにもかかわらず、いざ与党ともなると、ひたすら逃げの一手と聞こえる答弁と思えるのは私だけでしょうか。かつて介護福祉に携わっている皆様の処遇改善を約束した議員さん、忘れないで下さい。これ以上の失敗を繰り返さないで欲しいのです。
◆セミナー申込はこちら
http://www.helpa.jp/course/course_list/