山田洋次監督の映画に「学校」シリーズがあります。全4作制作されていますが、私は第1作から第3作まで観た覚えがあります。どの作品も様々な学校を舞台にストーリー展開し、生きることへの感動と喜びを与えてくれる作品です。特に第1作は夜間中学校を舞台に年老いても学問に挑戦する人やいじめが原因で登校拒否する生徒、貧乏で学ぶことができなくなった若者達などが登場します。夜間教師と生徒達のやり取りは涙なくして観ることができません。ちなみに、夜間教師とは昼間の教師からの延長で夜間の教師を兼任して勤めているものだとばかり思っていましたが、そうではないということをこの映画で知りました。
山田洋次監督映画の名作は、何と言っても「男はつらいよ」ですが、「寅さん」をはじめとして誰か参考にしている人物がいると聞いたことがありました。その人物の1人が先日NHK「ラジオ深夜便」の放送で出演されていた「学校」シリーズの原作者「松崎運之助」さんです。松崎さんは「私は夜間教師が天職だ」と人生を語っていらっしゃいます。昭和20年、満州から引き揚げてくる途中、テントの中で母親は命がけで松崎さんを出産。戦後のドサクサ生活で6歳と8歳年の離れた弟と妹が生まれ、のちに父親に別の女性が出来たことをきっかけに母親は離婚。住んでいた家と家財を売り払い、3人の子供を女手一つで育てた母親を助けるために妹と弟の子守り役に徹したなど、今日までの苦労話もたくさんありましたが、ご本人は親子4人で電気もない真黒闇のトタン屋根の下で話をしてくれる母親が大好きだったと明るく話していました。松崎さん自身も中学・高校・大学と夜間部で学び現在に至っているそうですが、今日があるのも、母親の愛情はもちろんのこと、周りの人からの親切が山よりも大きいとおっしゃいます。
今でも忘れられない人に、妹と弟が通った保育園の保母さんがいらっしゃるそうです。当時の兄弟たちは貧乏で汚い着物、お風呂も入れないことによる臭い体臭、友達からは「臭いから近寄るな」、「ノミが移るから近寄るな」、「貧乏人」といじめられ辛い思いをしていたとか。そんななか、小学3年だった松崎さんが保育園へ迎えに行くとその保母さんがいつも明るい声で「こちらにおいで」と建物の裏に呼んで、「帰ってみんなでお食べ」と紙でひねったお菓子をポケットに入れてくれたそうです。そして、松崎さんの背丈までかがみ、真直ぐ目を見て「がんばるのョ、まけちゃだめょ」と。そんな風にイガグリ頭を撫でながら優しく話しかけてくれた保母さんの言葉が、後々どんな苦しい状況でも頑張る力になったそうです。
人生のなかでたった一人の小さな親切がどれほどその人を支え、元気を与えているかは計り知れません。弱者になった人は親切を求めがちですが、頂くのが当り前でないことはよく分かっています。夜間教師が寸暇を惜しまず生徒に優しく尽くす理由がここにあるのだと、この映画の素晴らしさを再発見して、新しい感動を受けました。私は弱者だとは思いませんが、視覚障害者であることは間違いない現実です。日常生活の中、交差点で信号待ちをしている時「青になりましたよ」と一言声をかけて下さる人も、言葉で私を介護してくれているのだと感謝する自分に気付き、以後「優しそうな人より、優しい人」が好きになりました。こんな小さなことであるなら、まだ元気な時に自分の役目にも早く気付き、優しい言葉介護がもっと出来ただろと反省しました。
山田洋次監督映画の寅さんシリーズで、いつもお年寄りに優しい言葉をかけて喜ばせている寅さんは「言葉で介護」する達人かも知れません。
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