中途視覚障害者になった時、人生の終わりを考えたことがあります。
受講生から「死にたい気持ちがありながら、何がキッカケで立ち直りましたか」とよく質問をされました。人間長く生きていると、何度かは大きな苦難にぶち当たることでしょう。そのたびに「死にたい」と考え、私自身も生死を漂ったことがあるので、年間の交通事故による死亡者数を超えて毎年3万人以上もの自殺者数を見ると実はうなずけてしまいます。でも、悩み続けていた末に出た結論で「人生、初めからではなく、中途から始めるのだ」という考え方に変わってからは、何となく気分的にスッと軽くなりました。
世の中にあるものすべてが初めて見る物ばかりだと、何もかもが初体験になるからそれはそれは大変でしょう。でも、見えていないのは人生の中途からだと考えれば、これまでの記憶が大きな助けとなることが分かります。飲み食いをはじめ、全てのことでこれまでのライフワーク体験が役に立つのです。
家庭生活では、使用する品物の形、色、匂いや保管する位置を覚えています。一方、外出もこれまでの会社通勤を参考にすれば、大きな駅や建造物など改造工事が行われない限り、記憶は頼りになります。例えば最近、東京駅が戦前の3階建て赤レンガ駅舎に復元され話題となっております。丸の内、八重洲の北、南、中央口など私の頭の中にはしっかり記憶されていますが、はたして新たにどの程度の記憶更新をする必要があるのでしょうか。今はまだブーム冷めやらぬ観光スポットになっているようなので、見学者が多くて近寄ることも出来ない様子。少し熱が冷めた頃に再チェックして、新しい情報を更新するつもりです。この記憶更新が中途者には大切な仕事になるのです。私は、JR駅、メトロ地下鉄線、空港、港などの施設内については、これまである程度利用したことがあるため、建物内のトイレをはじめ、設備の配置場所についてはだいたいどこに何があるか記憶しており不便さはさほど感じません。
人生の半分以上は健常者として生活をしていたのですから、「中途からだ」と自分に言い聞かせれば、これから先、私の行動範囲もこれ以上広がるとは思えないので不安も感じません。動きも若い時と比べて鈍くなりました。相手も大きな期待はしないので、私が下手に見栄をはらなければ気も楽です。私もあと何年生きれるのか…、果たして今の年齢にどのくらいプラスで生きていけるかは不明です。ですが、もし人生の終着駅があるならば、私は中途からの乗客だと思うことにして、残りの人生はこれまでと環境こそ大きく変われど、人生列車を中途駅で乗り換えたつもりで楽しもうと思います。中途乗換えをしたことによって、これまでに見たことのない人生を今もって体験中であります。
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