健康なうちに、身体の動くところはいい状態を維持できるように、と最近リハビリ運動も兼ねて機械体操に出かけています。利用者は60代から80代が大半で、最近出会った一番の長老は95歳の方。自分より何倍も元気で驚きました。
もう一つ驚いたことは、元気な高齢者ほど障害者に優しくないのです。高齢者は若者を見ると、「今どきの若者は常識を知らない」と二言目には口にしますが、元気な高齢者ほど障害者を大切にしないことにも驚きました。自分が元気だから、足が痛い、腰が痛い、手が上がらないといった辛さを理解できないからでしょうか。その逆、自分の足腰などに障害が出てくると、自分一人で出来ない人を見るとすぐに手助けをしたくなる、という話も聞きました。自分も出来ないから、弱者の気持ちもよく分かるのでしょう。
先日95歳の大先輩と休憩時間にお話をする機会がありました。先輩いわく、今は時間をかければ何とか自分一人で行動出来ているようです。ある時、何かを探している人を見て「何かお探しですか?」と声をかけたら、相手が大変喜んでいたそうです。「人間は一人では生きていけない動物だ」と知ったと。たったその一言が、おおげさに言えば「生きていく力になった」とその95歳の大先輩は話して下さいました。
視覚障害者である私に置き換えれば、「白い杖とやさしい理解者」が元気の源であり、生きる力の栄養です。いただく声かけは、温かい心の中で育てられた花束となり、その一言が「生きていく力」になります。
先日リハビリへ向かうための送迎者に乗り込んだ時のこと、その日はすでに何人か事前に乗っている人がいました。私が乗ると、障害を持たない高齢者からは声かけがありません。でも、足腰に障害がある高齢者からは「おはよう、いい天気だね」とお声がけいただきました。その一言が「今日も生きるぞ」と私の生きる力になっています。
深い谷を浅くするための訓練を時々思い出して下さい。