今年はロンドンオリンピックが開催され、日本選手団の活躍で少しの間暑さを忘れさせて頂きました。実は私も昔、オリンピックに参加したことがあります。と言っても選手ではありませんし、自主参加して選手入場の先頭で堂々と行進したわけでもありません。
「あの日ローマで眺めた月が 今日は都の空照らす♪♪・・・」そう、これは東京五輪音頭です。実は、入社した会社が東京オリンピックの公認通関業取扱人に指定されておりました。つまり、選手が競技で使用する競技用具から消耗品まで、全ての輸入通関手続きから競技場や選手村までの一貫輸送を請け負う会社としてJOCから指定されていたということです。当時、私達は社内で東京オリンピックのことを「五輪ピック」と言っていました。私はまだ新入社員の身でしたが、繁忙ピーク時には応援隊として幾度か手伝いに出かけました。オリンピック施設に入門できる先輩の五輪マーク入りブレザーを借りて活躍した若き青春時代を懐かしく思い出します。
ボート競技では、使用する各国選手団のボートを羽田空港から競技する戸田ボート場まで運送するため、大型トラックに同乗しました。それから馬術競技では、各選手の愛馬を移送しました。競技場になる馬事公苑までの輸送と、競技当日まで愛馬の体調を整えるために自国から届く飼料を数回持ちこんだ記憶があります。
歴史的な出来事に参加したことを実感したのは、今はマラソン王国で有名なケニア、エチオピアをはじめとするアフリカの途上国選手団へ、日本の大手繊維メーカーから依頼された開会式着用ユニフォームを届けたことでした。そのユニフォームを着用したアフリカ諸国選手団が入場行進する姿を見たとき、自分も一緒に行進しているような気分になり感動したことが、あの日から48年経っても昨日のことのように思い出されます。
大空にブルーインパルスが飛行機雲で描く五輪マーク、日本選手団定番の赤のブレザーに白のズボン、日本人特有の時間厳守での式の進行に聖火到着、私はそんな東京五輪の開会式までの裏方として参加していたのです。開催中は連日の熱戦による熱戦! マラソンの円谷選手が2位で国立競技場に姿を見せた時の歓声、柔道日本が無差別級でオランダのヘーシンク選手に負けた時の溜息、体操日本の華麗な演技、東洋の魔女の異名を持つ女子バレーボールなどなど、感動に反省と課題を残して終わった東京五輪でした。
日本開催らしく、全ての競技進行が予定通りの時間で終わるかと思われましたが、最後の最後に予想外の大失敗がありました。それは、閉会式での出来事。残っている各国選手が開会式と同じく参加国ごとにプラカードを持って入場行進する予定でしたが、選手達が時間通り整列できずに隊列を組まないまま団子状態での入場になってしまったことです。役員は驚き慌てましたが、もう止められません。選手達は自国の旗を持って自由に国立競技場内を歩き回り、選手同士思い思いに交流を始めたのです。それはこれまでにない光景となって映し出され、さらには時間オーバーでの幕引きとなりました。しかしそのことが逆に素晴らしい閉会式だったと世界から賛美されたのです。関係者は驚きつつも過大評価されたことに安堵の胸をなでおろしたそうです。この出来事以来、この入場体系がオリンピック閉会式の定例パターンとして採用されております。
介護保険制度から12年、歴史的な高齢者社会の介護に参加している皆様の努力が、反省と課題は多々あるにせよ、48年後、老人介護の手本となり、世界の模範介護パターンとして利用されていることと信じてみませんか。
◆セミナー申込はこちら
http://www.helpa.jp/course/course_list/