私は2000年9月、定年半年前に受けた角膜移植手術の失敗で強度の視力障害を持つことになった中途失明者です。それまで、全く介護福祉には無関心で、定年後の第二の人生設計も然りのはずが、360度の大きな変化に、しばらくの間生きる力を失いました。これまで福祉の専門知識もなく、ごく平凡な普通人として生活していた者が、突如として視覚障害者となり、介護を受ける立場となって気付いた点を記述してみたいと思います。
落ち込んで、落ち込んで2、3年外出はおろか、会社のOB会を始め、元部下の誘いも拒否して自室に閉じこもる状態が続きました。当時、福祉専門学校の講師をしていた家内は中途失明者の福祉制度の現状について十分すぎるほど理解していたのでしょう。そんな私を何とかしたいと、ある時、私のストレス解消もかねて自分の授業に連れて行き、喋らせたのです。それまで、健常者同士がアイマスクをかけるなど、視覚障害者のことを理解するための実習はあったにせよ、視覚障害者としての生きた工夫と改善策は、生徒には実に新鮮な話であったようです。そこで、私は自分の経験が役立つことを知り、大きな自信につながりました。生きる喜びに導いた家内に感謝をしています。
また、介護制度の進むなかで、視覚障害者へのガイドヘルパーとして、外出の手助けをしてくれる介護受講生が多くいることを知りました。そうした方々との出会いを通して、自分と同じように苦しむ中途失明者の悩みや辛さを解消するお手伝いできれば、という発想に、時間をかけて切り替えられるようになっていったのです。
今では、閉じこもりがちな中途失明者の手足となるガイドヘルパーの育成講座に参加し、介護士の方々に知ってほしい事柄を障害経験者の立場からお話ししています。それこそが、残された自分の使命だと考えられるようになりました。現在は、社福協の講座にも参加し、今日までの苦労話や用具の紹介、外出するための注意事項など、今まで誰も教えてくれなかった障害体験の数々を、ガイドヘルパーを通して広く伝えようと努めています。今後も、同じ苦しみを持つ方々が1人でも多く外出できるようお手伝いしていくつもりです。
健常者の時は、何の苦労もなく山手線・中央線・地下鉄メトロ線等の交通機関を利用して、銀座・新宿・渋谷と都心を歩くことが出来ました。また、地方出張で新幹線を利用して出かけた時のことなどは、今でも体が『記憶』しています。これらはごく一部であり、見えていた時の『記憶』は色・物・形をはじめ場所・距離・方向など思いおこせば限りなく出てきます。『記憶』は中途失明者にとって、これから生活していくための大切な財産であることをまず認識したのです。それを失わないためには、忘れないうちに復習する必要があり、そのために外出は大切な生活の一部を成しています。まず、自分の家の周りを再チェックする為に、少しずつ記憶をたどりながら歩いてみることから始めました。眼が不自由になると、自分は真っすぐに歩いているつもりでもどちらかに片寄ることも知りました。
この先コラムでお話するのは“経験”のない出来事ばかりで、毎日“体験”しながら“解消”するを繰り返しています。東京は日々変化しております。東京タワーに代わるスカイツリータワーが338メートルの高さになり、東京タワーを超えたそうですね。残念ながら、私にはタワーを見ることはもうできません。東京タワーを想像している私に家内は「チョット違う」と言うのです。どう違うのか、写真のタワーを拡大鏡で見て『記憶』することが今から楽しみです。
◆セミナー申込はこちら
http://www.helpa.jp/course/course_list/