半年に一度、定期検診で東京の大学病院に通院しています。主治医からは特に通院を要請されていませんが、私の目はまだ完全に光を失った訳ではないので、残された光を少しでも長く保ちたいと、かすかな希望を抱き、長時間待つことを覚悟の上で赴いています。皆さんの多くがすでに経験済みでしょうが、病院での診察時間は待ち時間のわりに、ものの5、6分で終わってしまいます。それは裏を返せば、病状に異常がないということでもあるので早い診察結果を本来は喜ぶべきなのでしょうが、毎度この待ち時間の長さには閉口し、立場の弱い患者側の愚痴に終わってしまっています。
診察と言えば「医者の診察は患者がしている」。当日の医師の声で、今日は気分が良いのか悪いのかを患者の私は敏感に感じ取っています。医師は『今日の忙しいスケジュールや仕事におけるイザコザ問題の解決法』などを頭の片隅で考えながら診察をしています。患者である私は、その声の抑揚(テンポ)でそれを瞬時に感じ取るので、「医師の診察は患者がしている」となるのです。私は診察が終わると、先生に一言「今日は気分数値が高いですね!このままだと患者から嫌われますね!!」と診察結果を伝えます。患者は診察を受けるこの日のために「こんな病状がでた、あんな症状もあった」など沢山の情報を蓄えています。それに対する回答を求めに訪問するわけですが、一方的な医者の所見で「異常ありません」と締めくくられてしまうこともしばしばです。患者は何だか安心できないまま病院を後にせざるを得ません。5、6分で終わる診察もやはり不満ですが、そもそも私が行う医師の気分診断は1分弱で終わるので、まあ、納得せざるを得ないか! と思ったりもします。
常に心のこもった声を望むわけではありませんが、同じ声かでも、声の抑揚や雰囲気で何となくその人の人物像までが見えてくるから不思議です。視覚障害者としては、嫌な顔をしているのか、ニコニコしているのかは実際に見えませんが、声での判断は間違わないようにしています。外回りの経験がある私としては、現役時代なら相手の顔と動作を見れば、今日セールス話をしても大丈夫か、もしくはしないで引き上げるべきかを即決できました。しかし、障害を負った当初は相手の顔が見えないために、聞きたくもない話をいつまでも一方的に話してしまう事もありした。最近では話をしながら返答される合槌のイントネーションで声が見えるようになったので、相手に不愉快を与えない程度にまで成長しました。
前回「音で誰かを判断できる」というお話をしましたが、声と同じで、同じ音でも抑揚(テンポ)で現状把握がだいたい出来るものです。例えば、レストランでお水をテーブルに置く音、コーヒカップを置く音、注文品が配膳される音などに、その人の性格や気分が音で見えてきます。皆さん経験がおありかと思いますが、誰もが毎日ルンルン気分というわけにはいかないので、つい乱雑な言葉使いや態度などが出てしまうこともありますね。その時々で音が声の役割を果たしていることもあるのです。健常時には、相手の気分が良いのか悪いのかを態度や動作で判断し、注意を払いながら話を進めていましたが、障害を持つと相手の動作が見えない分、もう一つの声で判断せざるを得なくなります。
最近、俳優が「読み語り」をしていますね。一人で語る声は、すべての役を演じ分けているので実に面白い試みです。また、ラジオのアナウンサーの読み上げる原稿が、印刷されたものなのか、手書きのものなのか、声で聞き分け出来ればそれも非常に面白いと思いませんか? 今度ぜひ挑戦してみたいと思います。
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