今回は3回に分けてお届けしている『自立生活への第一歩は…』の最終回、【苦しむ人を理解して】をお話ししたいと思います。
【苦しむ人を 理解して】
突然視覚障害者になった私は、自立生活ができるまで、立ち直るまでにだいぶ時間がかかりました。「なぜ? 自分が…どうして?」ということは、常々研修でも訴えてきたことですが、改めてお話ししたいと思います。
障害者になった当時、自分一人で生活できる自信が持てず、生きる気力を失っていました。友達から励ましの言葉もたくさんいただきましたが、申し訳ないことに一時的な慰めであって、言葉の効力は長続きしませんでした。
そんななか、私に大きな力を与えてくれたのは、やはり苦しみを近くで理解してくれる家族の存在でした。私が元気でいることを一番に喜んでくれるのが家族だと気付いたことが、立ち直るための第一歩だったとも言えます。
そこで私が考えはじめたのは、私に何ができるのか、自分にできる仕事はあるかどうか、です。「♪日本の何処かで私を待っている人がいる~♪」のかどうなのか。
命を救う人と言えば医師かもしれませんが、私はいまさら医師にはなれません。私にできるのは、当時の私と同じように、視覚障害者となり命を失いかけている人の心を少しでも救うこと。視覚障害者として、今日まで生きるために様々な体験をしてきた者として、相手の立場に立ち、話を聞き、苦しみを理解することだと気付きました。
そのために有効なスキルとして、援助的コミュニケーションがあります。分かってもらえる相手がいることで、生きる喜びを相手に感じてもらうよう導くスキルです。励ますだけでなく、話しを聞く人になること。相手が、自分を分かってくれる人だと信じてくれるようになる、私がこの役割を担うべきだとも思いました。
苦しんでいる人は、自分の苦しみを分かってくれる人を探しています。自分の苦しみを理解してくれる人は、目が回るほどに忙しく仕事をしている人ではなく、暇で話しをよく聞いてくれる人がベストです。
話しの聞き方としては、話す相手の言葉を反復することが大事。反復することで、相手が「そうなんです」と答えます。そして続けて話すのではなく、沈黙時間を取り、相手に話をさせるのがコツだと知りました。
例えば、入院患者が看護師に「昨夜は眠れなかった」と話したとします。もし看護師が「だって、あなたが昼間寝ていたからでしょう」と答えたなら、患者は理解してくれない人に話しても苦しみから逃れられないと判断して、自分の苦しみを分かってくれる人を他に探すでしょう。(これからの生活を考えると寝られないかもしれないからです)希望と現実の境が苦しみとなるので、私のように「なぜ」「どうして」と同じ言葉を繰り返し使うことになります。
高齢化社会となり、一人でトイレができず、委ねる人すらいないことがあります。トイレは、自分を人間らしく扱い、苦しみを聞いてくれる信頼できる人にお願いしたいと話す高齢者も多いと聞きます。
現在、同行援護従業者養成研修のなかで、私の体験談をお話しする際、日頃ガイドヘルパーをしている参加者からの質問で、「利用者のご苦労について」お話を伺う機会があります。そのことが、今もなお引きずる私の中の「なぜ」「どうして」という疑問に対して、とても参考になり、生きる力にも繋がっています。ですので、研修への参加は私自身もとても楽しみなことのひとつです。
講座終わりには、アンケートを記入してもらっています。参加者の皆様からいただく、「研修に参加してよかった」、「私の体験談が参考になった」などのメッセージは、明日への活力に。本当に生きていたことを喜んでおります。皆様有難うございます!