私が中途視覚障害のショックから思ったより早く立ち直れたのは、置かれた現状を理解したからだと思います。主治医からは“現状、回復させることは出来ない”と言い渡され、“何とか少しでも見える可能性は!?”と何度も問い掛けましたが、結局返された答えは“無理でしょう”でした。
定年半年前に光を失うことの衝撃は予想以上で、その先考えていた人生設計は、大幅に狂ってしまったのです。そして、あれもこれもと考えていた定年後の計画は、どれ一つ実行できなくなり、生きていても何だか虚しいと考えるようになりました。勤めていた会社の同僚から幾度となくお誘いを受けるも、人と会う接点すら避けてしまい、この歳で遂に閉じこもり状態に陥りました。
自分の部屋で何を考えるでもなく、ただ時間だけが過ぎていく毎日を2年近く送っていましたが、脱却のきっかけは、妻が高齢者の介護に携わる仕事をしていたことでした。高齢化社会の到来と同時に、介護保険制度が施行され、人間平等に歳は重ねるし、人生一度は何らかの障害を持つ時代になることを知りました。老人ホームでも高齢での視覚障害、また若くして糖尿病を患い、その合併症などで眼に障害を持つ人が多く、介護が大変であると妻から聞かされました。その時、今までの考えが一変。いつまでも不満を持って生きるより、置かれた現状を理解し、障害と付き合うのも人生なのだと。
人生一度は障害を持つことで落ち込むのだとしたら、自分は少し早めに体験しているだけなのだと考えるようになりました。であれば、同じ症状を持つ人の手助けをしているガイドヘルパーの養成講座に参加している受講生の方々に自分の体験を語り部として伝え、自分と同じような人を救う仕事がしたいと、残された人生の方向転換をしました。人生は常に過去があって未来を予測し、自分なりに納まりをつけて生きていますが、過去があり、現状も加わった上で未来があるのではないか、そう思うことにしたのです。