『こんな夜更けにバナナかよ』の映画は、10億円以上の興行収入だそうです。障がい者を主人公にした映画で、こんなに人が入ったのは大ヒットだと思います。地方から連絡があり、「主人公の鹿野さんのまわりにいたボランティアは、札幌にいるのですか?紹介してください」と言われ、悪いですが、ちょっと笑いたくなってしまいました。笑うことをこらえましたけれど……。
障がい者の方々は、現在思うように暮らせないことに苛立ちを覚え、鹿野さんの本や映画を見て、札幌には優しい人がたくさんいるのだろうと、錯覚したのかもしれません。鹿野さんが活躍していたころは、1980年代で、ボランティアを呼びかけると、川の流れのように人がやって来た時代でした。鹿野さんを取り巻く障がい者やボランティアは、自立生活運動なのか恋愛運動なのかわからない面白い世界だったと思います。イケメンボランティアがあふれるほどいたので、私にも片思いの人はたくさんいましたが、必ず美しい女性のボランティアにとられたものです。恋愛というものは弱肉強食だなと思います。大人になっていく階段として、とてもよかったと思います。
『こんな夜更けにバナナかよ』の映画を見た若い女性が、いちご会に来てくださり、ボランティアからヘルパーになってくれました。「鹿野さんが活躍していた時代はあんなにボランティアがいたのに、今はいないのね」と悲しそうな顔をしていました。「でもあの時代は、みんな一生懸命生きていたわよ。福祉制度も何もなかったからね。自分のケアを自分で見つけるという方法をとらないと生きていけなかったのね。一生懸命生きていたら障がい者だってモテる時代だったのよ。障がいがない人もね」と言うと、彼女は「一生懸命生きるとモテる…!」と何度も自分に言い聞かせていました。「真剣に生きている人は美しいでしょう。あなたもこれから真剣に生きてね。そうしたら、必ずステキな人が現れるわよ」と言うと彼女はうれしそうな顔をして、「小山内さんのところに来ると恋愛講座も聞けるのね」と話しながら、お味噌汁やサラダを作ってくれました。お味噌汁ぐらい上手に作れないのかな…とちょっと驚きましたが、私も若き日、何もできなかったことを思い出し、今度彼女が来たら何を教えようかなと、メニューを考えました。
『こんな夜更けにバナナかよ』のおかげで、はじけるような若い人が私のもとへ来てくれたことは、感謝です。一人のヘルパーさんが現れることは、今は奇跡的なことなのです。私もまた、負けないで原稿を書かなければいけないと心が引き締まる思いでした。