日本は慢性的なヘルパー不足になっている。4、5 年前まではちょっと探せばヘルパーさんが笑顔を浮かべて来てくれた。ヘルパー事業所は頭を悩ませている。
私はヘルパー事業所を経営する側であり、ヘルパーを受ける立場でもある。事業所の人たちが日々ヘルパー探しに心身をすり減らしながら働いているのを、ケアを受けている人たちは知っているのだろうか。部屋の中で1 対1 のケアを受ける時間は、人によってはとてつもないエネルギーがいる。
ある日学生のヘルパーさんに洗濯をしてもらった時、雑巾と下着を一緒に洗ってしまった人がいた。私は驚いた。「あなたの家でもそうしているの?」と聞くと自分の部屋だけを掃除しているのでよいと思っていたそうだ。若き日の私なら「考えられないよ!」と怒鳴っていただろう。でも今、ヘルパーは私にとってかけがえのない貴重な手と足である。怒ってはいけないと自分の心をおさえ、「お母さんにもどんなふうに答えるか聞いてきて?」と言った。彼女は何日か後「母に真っ赤な顔をして怒られました。恥ずかしいことですね」と正直に言ってくれた。「そうだね、お嫁に行ったら離婚の元になるかもしれないから、ここで花嫁修業だと思ってがんばってね」と言った。彼女はにっこり笑ってくれた。
ケアを受ける側も、ヘルパーさんの個性や手の技術を受け入れなければいけない。介護福祉士の実技試験では誰が試験官をしているのだろうか。学識経験者の方やヘルパーを行ってきた人だろうか。その人たちは一人ひとりのケアが上手かどうか理解できるのだろうか。その場では、ケアを受けている人が客観的に見る必要があるのではないだろうか。
私はある日、一番ケアが上手いと感じているヘルパーさんの姿を鏡で観察していた。洗顔や歯みがきの時などは自分の体を常に左右、前後と置き場を変えて行っていた。「なるほど、自分のやりやすい形を常に考えているのだな」ということを私は学んだ。ケアを受ける本人も勉強し、試験官になる免許をとらなくてはいけないと思った。
このことは、障がいを持っている人自身が社会に訴えて実現していかなければいけない。