このタイトルで1997 年に中央法規出版から本を出した。私が書いたものでこの本がいちばん売れている。毎年増刷してくださっているのでロングセラーだろう。この本は私が書いたなかで、いちばん簡単に書けたものである。朝起きてから寝るまでの、ヘルパーさんとのつきあいのなかで起こったことを書いただけである。素直な言葉で書いたからこそ、売れたのだろう。印税は寄付しているので、いくら儲かったかはわからない。ちょっと残念。でもこれらの資金で、社会福祉法人アンビシャスを設立できたのである。
最近札幌では、障がい者の介護時間が少しずつ伸びてきている。介護時間が増え、ヘルパーさんのよいバイトにもなってきているのはうれしいことである。しかし私の思いで、看護師になる人にはどうしてもヘルパーを経験してもらいたかった。そこで私のところで月にたくさんの時間働いているヘルパーさんのところをちょっとだけ削り、看護学生さんに入ってもらうことにした。しかし時間を削られたヘルパーさんはすごく怒ってしまった。お金はだれでもほしい。でも1 人のヘルパーさんだけに多く時間数をあげてしまうと、その人が病気になったり事故にあったりしてしまったとき、私は生きていけなくなってしまう。そのヘルパーさんは最高にケアがうまかった。長くつきあっていきたかった。しかし、意見が食い違ってしまうと雇えなくなることを知り、私の心は病んだ。「あなたは私の手になれますか」と問いかけてきたが「まだなれません」という答えだ。そのヘルパーさんは完ぺきに私の手であった。そういう人と離れなければならないことは、自分の両手を切るような思いである。ヘルパーさんとつきあっている人たちはこういう悲しい思いを幾度か繰り返して生きていっているのだろう。人間関係は難しい。でもその離れていったヘルパーさんはきっとまたどこかでヘルパーとして働くだろう。最高の手が他の人の所に届くのだから感謝してあげなければいけない。なんて、かっこいい言葉は書けるが、やはり悲しいことである。また一歩から始めていくヘルパーさんの手のような人と出会えることを祈るほかない。
この問題は、先進国の24 時間ヘルパー制度の国であっても同じ経験をしているのだろう。出会いはさよならのはじまりである。またこんにちはと言えるヘルパーさんを探す。これが私の生きている限りの仕事だと思う。悲しいこともつらいこともすべて生きていく学びである。この出来事はマイナスにしたくはない。プラスにしたい。次はなるべくまんべんなく平等にケアの時間を組むということにしなければいけない。ケアのうまい人にばかり甘えては失敗するということである。失敗は人間にとって最高の勉強である。