私は36 年間ボランティアとヘルパーの手で生きてきた。両親と一緒にいたのなら、ヘルパー制度は受けられなかった。今は19 歳の障害を持った女性がお母さんと一緒に暮らしていても、ヘルパーさんが来ていると聞き「あぁ!羨ましいなぁ」と思った。ヘルパーさんが来ることで娘さんがケアを受けられるので、家族に自由な時間がつくれる。素晴らしいことだ。
ある日の夕食で、たまには贅沢をしようと、まぐろのお刺身を冷凍庫からヘルパーさんに出していただき、電子レンジに入れ、解凍のボタンを押した。少し長いなぁと心配になり、電子レンジのドアを開けてみると、お刺身から湯気が出て完璧に焼きまぐろになってしまった。ヘルパーさんは大慌てで「ごめんなさい!! 機械を信じきった私が悪いんですね。今度買ってきます」と言われ、私は「この失敗はあなたの責任ではありません。私はちゃんと押してもいいと言いました。私も手が使えたなら同じ失敗をするでしょう。頼んだ本人の責任です。もうこのことは言わないでください」と言い、焼いたまぐろに醤油をかけ、食べてみた。まぐろの鮮度が良かったせいか、頬ばるとまぐろの香りを口の中で感じた。ご飯に乗っけて食べるとなかなか美味しかった。私はにっこりしてウイスキーを呑みながら満足した。ケアを受けるということは失敗もあり、その失敗が自分の利益になり、今後はヘルパーさんに正しく解凍の仕方を伝えられる。失敗は成功のもとである。
こういうたわいもないことからヘルパーさんに失敗を押しつけてしまうと、お互い気まずい関係になるかもしれない。常に何が悪かったのか、これからどうすればよいのかを考えていくのが、ケアを受ける人たちの仕事なのだ。ヘルパーは介護福祉士の資格を取りなさい、とさかんに言われている。ならば、ケアを受けるための国家試験があったほうがよいのではないか。ケアをする側だけがプライドを持ち、偉くなってしまうと私たちは困る。