1980年、27歳のときから私は親元を離れ、ヘルパーを受けながら生活をしてきた。長い道のりであった。ヘルパーさんは最初、区役所に行って話し合いをし、障がい者の家に行きケアをした。終わるとまた区役所に行って、みんなと話し合う。何が話し合われていたのかは分からないが、私のプライバシーが筒抜けになっていることは間違いなかった。
その頃は、まだヘルパー時間も1週間に1、2回程度であった。ヘルパーさんは離婚した人が大変多かったような気がする。1日のヘルパー時間も長かったので、それだけで生活ができ、女性にとってはよい職業だったと思う。現代は1ヵ月のヘルパー時間は増えてきたが、朝2時間、夜3時間だけの人もいる。1人になれる時間をつくりたいと、たくさんの時間を使わない人もいる。障がいが重くなってくると24時間のヘルパーを願うようになってくる。しかしヘルパーさんが24時間来ると、1人でいる空間が何もなくなってしまう。若い人は恋人をつくる時間もなくなってしまうだろう。
私も年々障がいが重くなってくるので、1人でいたいが、時おり車いすから落ちてしまうことがある。すると、部屋のカギを開けるボタンを押せなくなってしまう。大変な事件になったこともある。「私は生きているよ!」と部屋から叫んだこともある。ヘルパーには“見守り”という時間があるが、私の家にはヘルパーの部屋を確保しているので時おり「ヘルパー室で待っていてください」と頼むときがある。
ヘルパーがいると安心ではあるが、してもらうことばかり考えてしまうような気がする。時間がかかっても自分で行う自立した生活が大切だと思う。どの場で手を貸していただくか、障がい者たちは真剣に考えていかなければいけない。どの洋服を着たいのか、という最後の答えは障がい者自身に決定権があると思う。このことをいつの時代も伝えていきたい。