60歳を過ぎると私のまわりは定年退職する人が増え、一方、街に出かければ一緒にお話したり、食事をする人が減ってきていると感じる。身体が疲れてくると私も退職したいと思うときがある。私にとって、地域で一人で生きる定年はいつなんだろう、と考えてしまう。
ヘルパーさんが変わるたび、一からケアを教えなくてはいけない。朝の起こし方から寝巻きの脱がせ方や服の着せ方、顔の洗い方、食事の仕方まで、しばらくこと細かく伝えなければいけない。物の置き場所を教えるのが一番大変だ。
スウェーデンでは、障がい者のキッチンにある色々なものに番号が書かれてある。A-1はお鍋、A-2は食器……などと合理的に書かれてある。私のキッチンはそんなに広くないので、番号は書いていない。イヤリングやネックレスはたくさんあるので、番号を書いておくとすぐに取っていただけるので楽である。もっと楽な方法はないかな、と時折家を見まわして考える。
風邪を引いたとき、ヘルパーさんにブラシを買ってきてもらった。私の想像していたものより毛がとても柔らかかったので、頭がかゆいときに困った。この話をすると、あるヘルパーさんから、「こういうものはちゃんと小山内さんも一緒に行かなくてはだめよ。買ってきてもらうのはだめ」と怒られた。「あぁ、そうだな」と私は反省した。
障がいを持っているからこそ、生きることが仕事である。自分のしてほしいことをきちんと言えた日は気持ちがよい。いつも気を張りながら、ヘルパーさんに言うべきか、言わない方がよいかを考えてしまう。互いに気分を壊さないよう努めているのだ。敬語を使いすぎて、あごが疲れたときもあった。「これやって」ではなく「すみませんが、これをやってください」と、ことごとく敬語にこだわっていた。何ヵ月か経つとちょっと疲れてしまった。敬語もほどほどにしようと、最近は手を抜いている。でもヘルパーさんたちは顔色一つ変えずに、丁寧にケアをしてくださる。
私の考えすぎだったのだろうか。しかし、自分の思いを他人に伝えて生きるということは大変な作業だと思う。これからも常に私は、楽に生きる方法を考えていかなくてはいけない。私の定年はこの世を去るときだと思っている。障がい者という仕事を抱えて、ありがたいのかもしれない。