私が脳性まひ者としてケアを受けていることは少し書き飽きたので、今回は友だちがケアを受けている姿を見て感じたことを書いてみる。
私の事務所に64歳になる友人の女性障がい者がやってきた。65歳になると障がい者の総合支援法から介護保険制度に切り替わり、ヘルパー時間が減ってしまう現実がある。戦わなくてはいけない、と彼女と話をしていた。
事務所の前にはハム工房がある。帰る時間が近づくと、彼女は一緒に来ていたヘルパーさんに「長いソーセージを3本買ってきてください」と頼んだ。ヘルパーさんが「どんなソーセージですか?」とたずねると、「あれ、長いソーセージあるでしょう。あれよ」と言っていたが、周りの人たちはいろいろなソーセージやウィンナーを思い浮かべていた。 私は「自分で行ってきたらいんじゃない?」と言ったが、彼女は「いや、ヘルパーさんに行ってきてほしいの」と言う。やっかいな人だと思った。
雪が降っていたり、遠かったりするならば仕方ないが、お店はすぐ目の前なのに、行ってきてほしいとねばる。ヘルパーさんはお金を預かり買ってきてくれた。すると彼女は「あぁ、これかい。これは違うんだよね」と言った。私の心は相当いらだっていた。「違っていたなら私が買うよ」と言うと、彼女は「いや、私が食べます」と言った。
このやり取りがケアの難しさだなと、冷静に考えてしまった。自己決定、自己責任でケアを受けると言っているが、とても難しい問題だと思った。こういうときは「あなた、わがままね」と言いたくなるが、これを言ってしまうと後に出てくる言葉もない。彼女には何か自分で行きたくない理由があったのだろう。根気よく接していたヘルパーさんに頭が下がる思いであった。
他の障がい者がケアを受けているシーンを黙って見ていると、自分の姿とだぶることもあり、なかなか楽しいものだ。これからこういうシーンをたくさん見たいと思った。脳の動きが活発になると思う。
あのソーセージはおいしそうだった。今度買ってみようと心に誓った。