訪問の仕事に就くきっかけ
心と心を繋げていかなければいけない、そんな気持ちに駆られました。
移転したばかりのオフィス窓口には、「はぁもにぃ」創業時に購入したという灯台が。海を照らす灯台の光のように、関わるみんなの道しるべとなる事業所でありたいと願いを込めて。
―野尻さんが介護職に就いたきっかけは?
友人の死で死生観が変わったからです。若くして亡くなった友人の死を前に、自分の在り方を見つめ直したのがきっかけです。自分に恥じない生き方を、人の役に立つ仕事を、と思うようになって、病院のケアワーカーを始めました。
直行直帰が基本のヘルパーさん。確認事項や報告がある時は事務所へ立ち寄ることも。
―その出来事が野尻さんの生き方をも変えるターニングポイントだったのですね。その後、病院でのお仕事はどんな?
病院といっても老人ホームのようなところで、一晩70人ぐらいのおむつ交換、排泄介助を2人ペアでしていました。考えるより、まず手を動かす、そんな忙しい現場で驚いたのは、私より若い子が多く働いていたこと。こんなに大変な仕事を彼女たちが頑張っているのだから、私も負けていられないと働く原動力になっていましたね。
ご利用者さんのことを相談するヘルパーさん。その場で出来る限り明確な返答をするのが野尻さんのポリシー。
―そこはどれぐらい?
6年ぐらいいました。
―その後はどこへ?
デイサービスに。
―なぜ転職先にデイを選ばれたのですか?
その病院では社会的入院の方がほとんどでした。何かしてあげたいと思ってもできないことの方が多く、進展も見られずで…。今思うと、経験を積んで、手が慣れてきて、ぬるま湯に浸かっていた感じだったのだと思います。そんななか、少し自分の位置をずらしたいな、と思うようになりました。
打ち合わせスペースにはつまめるお菓子や手荒れに使える万能クリーム、ヴァセリンも。
―少し目線を変えて、ということでしょうか?
そうですね。そんな感じです。そう強く思うようになったのには、あるきっかけがありまして…。
認知症と断定されその病院に入院していた女性の方がいらして、その方は「私はしっかりしているからここに来るはずじゃなかった。だからトイレはポータブルではなく一緒に連れて行って」と言うんです。でも看護師さんの申し送りには「認知症で暴れてしまう。ポータブルトイレで」とあります。でも、本人がそう言うので、何度か夜勤の際にトイレに連れて行ってあげたりしました。「家に電話したい」と言うので、できるように取りはかったり。結局その方はご家族に電話されて、後日退院されたんですよ。その後自宅でしっかり生活をされているというのを聞いて、あ~良かったなって。
どんな事情で入院されたかは分かりませんが、こういう方が他にもいらっしゃって、これが氷山の一角だとしたら、とても辛いなぁと。それぞれに心があるのだから、それを繋げていかなければいけない、そんな気持ちに駆られました。それで在宅に関わろうと思った時にデイを見かけて…。
開放的ですぐ話し合えるフラットな職場。
―たまたまデイの募集が?
いえ。病院を辞めたのを機に引っ越しをしたのですが、家の周りを自転車でさーと見て周った時に、目に留まったのがそのデイです(笑)。飛び込みで「働かせてください」と施設長に。でも、スタッフは足りているから車の運転員でと言われ、最初はデイの送迎をしていました。
―なんという行動力! でも、それまでの経験があるから運転員だけというわけにはいかないのでは(笑)?
そうですね(苦笑)。お風呂介助に人が足りないと聞けば「じゃあ私がやります」と言って手伝っているうちに、スタッフとしても働いていました。
『はぁもにぃ』立ち上げメンバー3人。左からケアマネの田中陽子さん、野尻さん、野尻さんの旦那さま。
―病院との違いを何か感じたりは?
みんなで何か作ったり、楽しみ方が全然違いましたね。そのデイは、半年に一度バスハイクをして桜を見に行ったり、食べ放題に出掛けたり。企画をしっかり立ててみんなで進めていくやり方がとても良かったです。病院にはなかった目線というか。
―そこではどれぐらい?
3年弱働きました。保険制度が変わるH12年のタイミングで介護福祉士の資格をとり、大手の訪問介護へ転職しました。