過去20年間、介護業界の変化について
3年おきぐらいに変わっていく、とても動きのある業界でびっくりしました!
取材風景の一コマ。本音ポロリや、顔を見合わせて笑い合ったり!
取材の様子を笑顔で見守る係長の堤さん。
-前坂さん、森畑さん、それぞれ、介護職に就いたきっかけを教えてください。
前坂-私は子供を保育園に預けるのを機に働こうと思い、たまたまチラシで募集があったこちらに応募したのがきっかけです。当初は9時~15時で働けるパート職を探していたのですが、こちらは正社員採用でフルタイム。いざ採用が決まった際には家族会議を開き、家族が「協力するよ」と言ってくれた一言で決意を固めた感じです。
お昼タイム12時の事務所内に潜入~!
今日のお昼は今流行りのジャーサラダ。色とりどりの野菜が層になって見た目も華やか。
森畑-私は介護職に就くまで色々な職を転々としていました。そんな時、「親から社会福祉協議会の用務員募集があるよ」という話をもらい、そのチラシを見に実家へ。そしたら介護職の募集も同時にしていて。自分が興味があるのは「老人介護の方だ!」という強い気持ちが芽生え、親の反対を押し切ってそちらを受けました。当時は競争率もすごかったので、どうせ落ちるだろう…ぐらいの気持ちでしたが、受かってしまって。…で今に至ります(笑)。
みんながそろう昼食では、情報交換も活発に。横や前の職員同士、会話が飛び交います。
前坂-そうそう。その時代ってこの職が花形みたいな感じで、募集にすごい人が集まったんですよ。今では想像できないですが、私の時は採用倍率20倍でした。
カメラを向けると笑顔でポーズ。とっても元気で明るい職場♪
-それはすごい! 現在の人材不足が嘘かのような話ですね。森畑さんは、そもそもなぜ、介護の方を強くやりたい!と?
森畑-私、幼なじみがお年寄りだったんです(笑)。子供の頃、「誰々さんの家に遊びに行ってくる」というのが、おじいちゃんちやおばあちゃんちで。祖母と同居していたこともあり、自然と遊び相手が年配者に。とても身近な存在でしたから、やるなら、老人介護をしたいと思いました。
職員の方のお弁当をのぞき見。即席のお味噌汁も!
-お二人とも介護歴は約20年ほどですが、介護保険が始まる前、措置の時代からということで、福祉の移り変わりを色々見られてきたのでは?
前坂-そうですね。すごく動きのある業界だったので入ってびっくりしました。約3年おきに色々なことが変わり、付いていくのにも必死。そうした国の大きな流れに自分が飲み込まれていること自体もすごいなあと思ったりしましたよね。
職員の皆さん、ほぼ全員が手作りでさすがの腕前です。
森畑-私は何も知らないままポンとこの業界に入ったので、とにかく見よう見まねで覚えて、現場で学ばせてもらった感じです。特に思い出深い出来事が入社して3年目の時。私はサ責になり、もう一人同期で入った看護師免許を持つ職員が、訪問看護を立ち上げた時期でもありました。そのタイミングで介護保険制度が変わり、『福祉と医療の線引きをしっかりしよう』という話になりまして。私なりに関連雑誌を立ち上げた同僚が机を並べて仕事をしていたので、都度話し合いながら色々決めていって…。
「ヘルパーはここまで出来ないらしい。これからは訪看を使ってもらおう」といったような話が出来たのもすごく大きくて。『医療と福祉は繋がっているけれど別物』とご利用者さんにしっかり伝えられたことは、今の仕事にもプラスに働いている気がします。
前坂さんのオフィスは、ここ山王でなく、国府の方。取材でこちらに来たため、久しぶりに会った仲間とトーク!
前坂-それに高山市が合併したことも私たちにとっては大きい出来事でした。町にある事業所がここに吸収・統合されたわけなので。それにあたり、色々な地域に住む方々を一手に担わなければいけなくなり…。高山市は日本一面積が大きい市とも言われていて、東京都と同じくらいの規模。山間部のご利用者さんであれば、車で1時間以上かけて行ったりしています。“広域をみる大変さ”というのもここならではかもしれません。