様々な仕事を経て介護職へ
3年経ってようやく使える人材になれる、そこからが本当のスタートなのだと思います。
『常楽園』の外観。変わったデザインが目を引く。
玄関前は駐車場も兼ねた広場。置戸中のマラソンコースにもなっている。
―神田さんが介護職に就くきっかけは?
私は、置戸町出身なのですが、高校卒業後は北見で就職をしまして。そのため、しばらくは北見で生活をしていました。30歳を過ぎ、やはり地元に…と戻ってきて、職探しをしていた際に見つけたのが「常楽園」のお隣にある「緑清園」のパート募集でした。迷わず飛び込み、早11年。置戸町はそもそも仕事の選択肢があまりなくて(苦笑)。ですから、介護への特別な想いがあったわけではなく、仕事を見つけたから応募する! という単純な動機でのスタートでした。
広々とした玄関はくつろぎ度満点。天井が吹き抜けになっていて窓から心地よい光が差し込む。
玄関に飾られていた紙でできたお花。温かみがあって、色とりどり。
―ちなみに北見ではどんなお仕事を?
最初はバスガイドを5年ほど。顎関節症や腰を痛めてドクターストップがかかり、泣く泣く転職した先は百貨店の販売員。そこは8年ぐらいいました。あとは子供が手離れした際に経理事務を少々。バスガイド含め、接客をずっとしてきたので、色々な方と相対するという今の仕事に抵抗なく入れたのは、その時の経験のお蔭かもしれないですね。
開園50周年記念作品。入居者さん達が紙を丸めて貼り付けて作られたそう。
1Fから2Fへと続くバリアフリーな通路は明るい印象。採光もばっちり。
―バスガイド、とは面白い経歴をお持ちですね。先程、介護職に飛び込んだとありましたが、その時の印象って?
不安で一杯でしたが、いざやってみると、『できるかも!?』って。想像していたより抵抗なくできる自分がいて。あとは不安をはねのけるぐらいの『やってやるぞ!』という強い気持ち(笑)。『早く一人前になりたい』という意気込みは、人一倍強かったかもしれません。
神田さんの娘さんも通われているという、置戸高等学校福祉科のポスターが廊下に。『緑清園』『常楽園』は研修生の受け入れ先でもある。
―介護職を続けてきて、神田さんが“一人前”と思えたのはいつ頃でしょう?
そうですね…。最初は「緑清園」でパートで1年間、その後正職募集をしていた「常楽園」に移り、今まで続けてきたわけですが、一人前ってなかなか自分では言いきれないかもしれません。まだまだ成長途中です。
施設横は、緑の芝生が美しい置戸中学校。運動会があると、職員と入居者さんが応援に駆け付ける。
―一般的には、仕事は3年続けてみて…とも言いますが、その点どうですか?
それで言えば、「3年経ったからと言って、この仕事に慣れた、と思っちゃいけない。3年経って、ようやく使える人になるんだよ~」と新入社員にもよく話しています。これは先輩から私も言われてきた言葉。最初の3年はご利用者さんを知る期間。この方はどんな人かな、認知症がだいぶ進んできたな、とか色々知って、理解して初めてスタート地点に立てる。そう考えると、介護って厳しい業界ですよね(苦笑)。