3月11日の大揺れから、もうすぐ2カ月が経とうとしている。未だに被害の全体像の把握はできない状態だが、多くの人達が復興に尽力しながらも、日々明らかになる被害の甚大さには想像を絶するばかりである。亡くなられた方々、行方がわからない方々、家を失われた方々、放射能の危険から避難を余儀なくされている地域の方々など、ニュースが流れるたびに言葉を失う。このような状況では、何を言ってもふさわしくない気がする。ただただお悔やみとお見舞いの思いで一杯である。そして何故だろうと考え、私たちに何ができるだろうと考えている。
「もののけ姫」のテーマは「自然」と「人間の生きる」の折り合いをどうつけるか、というものだった。人間はいつから自然に対する畏れを失い、支配の対象としか考えなくなったのだろう…と今回のことで啓発された。特に20世紀は科学万能の時代と言われ、自然のすべてが解明されたような錯覚さえしている。しかし、1000年に1度の大地震はどうだったのだろう。防災計画も「ここまで津波が来るとは想定していなかった」で済ましていいのだろうか。歴史上記録に残っているだけでも大きな地震と犠牲がくり返されてきたのに、その犠牲の教訓が生かしきれていないのではないだろうか。
もう一つ、今回の映像で見る津波の力は想像を超えるものがあった。地震多発地帯と言われ、海に囲まれている日本列島の住人としては認識不足と反省した。その力を正確に受け止めていれば、暮らし方の知恵も育ったのかもしれない。「専門家にお任せ」だけでは暮らしは守れないと感じた。また、東京電力非難の大合唱について、原発建設ではトップクラスの力と自他供に認めていたではないか。だとすれば、一企業の問題でなく、科学全体の問題なのでは? 自然をねじ伏せて「生活便利」のため、エネルギーを略取したつもりが、そうではなかったということなのだろう。
店や駅でも節電で明るさが半減し、エスカレーターが止まっている。それでも慣れると別に不自由ではない。今までが明るすぎたり、便利すぎたりしていただけではないかと気がついた。しかし、それでも名古屋駅でエスカレーターが動いていた時、迷わずエスカレーターに乗った自分がいた。提供されれば便利を選択する心情が積み重なって、様々な便利のための圧倒的電力を生み出す、原子力発電所を私たちの文化が生み出したのだと思う。
自然を押さえ込むことはできない。
自然とどう折り合いをつけて暮らしていくか、自分の暮らしの内省から考えて行きたい。