青山さん(仮名・男性)は87歳で妻と長女夫婦と同居をしています。加齢とともに認知機能が低下し、物忘れが顕著になり、日常生活は声かけや介助が必要になりました。妻は脳梗塞の後遺症で軽い麻痺があります。長女は夫が単身赴任のため、月の半分をそちらで過ごします。訪問介護サービスは、長女がいる時には、週2回の入浴介助と月2回の外出介助を、留守の時には週5回の掃除と調理が加わります。
青山さんは元経師屋で、現在の住まいで仕事をしていました。仕事場はそのままにしてありますが、仕事を辞めてから約20年が経っています。ある日長女が、「大切なものをしまっておく箱に和紙を貼ってほしい…」と頼んだところ、「うーん…」と言いながらも青山さんの表情が明るくなったのです。そこで長女は仕事場に誘導し、「何を準備すればいいかなあ」と話すと、青山さんが箱を見ながらしばらくあたりを見回し、必要な物を取り出し始めました。貼る和紙を探し、箱に合わせて切り、のりに水を入れて薄く伸ばし、手つきは順調のように見えました。ところが、のりの薄さがこれでいいのか疑わしい状況。紙をさわり、表を決め、裏にそののりを刷毛で塗りました。
その後、青山さんは煙草に火をつけてゆったりし始めたので、長女、妻、ヘルパーとで顔を見合わせ、「お父さん、のりが乾いてしまうよ」と長女が声をかけました。すると、青山さんは笑いながら「紙だって特徴があるんだ、伸びたいように自由にさせて、これで十分とのびのびしたころを見計らってから、腕を貸すんだ。こちらが紙の特徴をつかみ、それに沿って手を貸すことで、いいものになるんだ。ああしよう、こうしようとたくらむと背いてしまう。姑息な手段はだめ、人間と同じだよ、紙は一枚一枚特徴があるんだよ」 と。その後、その和紙をしわひとつなく、角もぴったりと仕上げました。上下の箱の模様もきちんと揃っています。上下ぴたりとおさまり、隙間もありません。それは、いつもの青山さんとは違う顔でした。自信に満ちたすがすがしい表情に、まわりも笑顔で「素敵」と思わず叫んでしまいました。
認知症で物忘れがひどく、トイレの場所もわからない、更衣もうまくできない、風呂に入ってもどうしてよいか戸惑う姿が大きく、本来の青山さんの人間性を見失って、出来ないことに対してだけ援助していたことに気づかされたエピソードです。目の前の日常生活で困ることばかりに目がいっていたこと、援助していることが利用者にとって「大きなお世話になっていないか」を肝に銘じたいですね。