(3) 家族の支えがあるから続けられる。

>▲訪問前の持ち物チェックは欠かさない。
―そして現在に至る、ということですね。
戸館さん:そうですね、遠回りをしているでしょう?でも、その遠回りは必要だったのかなって思います。
―それはなぜですか?
戸館さん:何一つ無駄なことはなかったし、逆に学ぶべきことが沢山ありましたから。色々ありましたが、エステで働いたことも民間の介護事業所に勤めて傷ついたことも、今になって思えば良い経験でした。
―介護の仕事で「傷ついた」というのは?
戸館さん:以前勤めていた民間の介護事業所は、とにかく売り上げが第一でした。ビジネスとしてやっているわけですから当然といえば当然なんでしょうが、人間は物じゃありませんからね。相手は人間です。お金で割り切れることばかりではありません。けれどその会社は違いました。お金にならないものは必要ない、ビジネスとして成立するかどうかが大事だ、と。だから、私はその会社の運営方針に賛同できませんでした。けれど、そこに勤める間はそれに従うより他にない、現場で働く仲間同士が一致団結しても、それではどうにもならないと分かったんです。悔しかったですね、自分には何もできないと思うことが。
そして、利用者さんを泣かせてしまうことになりました。私もまだ子どもでしたからね、その時は利用者さんを殺してしまったかのような気分になりましたよ。それだけ衝撃的でした。若い私なりに哲学をもって入った世界なのに、何かがおかしいと感じたからでしょうね。それがちょうど、介護保険が大々的にスタートした年のことでした。これが未来の介護って世界なのかなって思うと、辛くてたまらなくなりました。これは私の求めていた介護じゃない、私が知りたかった介護の世界じゃない、私には続けていけないって思いました。それでその会社を辞めました。
▲訪問時に着る上着の左腕には、いつつ星会のマークが。
―辛い思い出ですね。
戸館さん:でも、勉強になりました。ぼんやりとしか見えていなかった私の介護観、福祉観がはっきりしたのは、辛くて悔しい思いをしたからだと思いますし。
―そして、その次はエステのお仕事を?
戸館さん:傷ついたのもありますし、疲れちゃったんでしょうね。一旦、介護とは少し離れた仕事がしたくて。それでエステの業界に転職しました。会社としての経営方針にも賛同できましたしね。でもある日、福祉の観点でエステの仕事をしている自分自身に気付いたんです。お客様の立場になってサービスをすること、お話を聞いて応えること。多分それは、対人援護技術の訓練なんじゃないかな、私はそれを無意識にやっているのかもしれないなって。だからでしょうか。営業成績を上げようと営業トークをした記憶は一切ないのに、私が所属している営業所はいくつかある拠点営業所の中でも常にダントツの成績をあげていました。最初はどこまで出来るか分かりませんでしたけれど、その経験が自分の自信に繋がりました。
―どんな場所にいても、常に自分に対して前向きなんですね。
戸館さん:人と接することの楽しさをエステの世界では教えていただきましたね。今の会社からお声掛けしていただいたのは、ちょうどその頃。育児休暇中だったんですが、産休に入るかたがいるとかで、そのピンチヒッターとして来て欲しいとのお話でした。
―それですぐにこちらに?
戸館さん:いいえ。決断までには、それなりの時間が必要でした。突然責任者になってくれと言われても、ブランクもありますし自信がありませんでした。たとえピンチヒッターとはいえ、立ち上げのスタッフとして入るのは責任が重いし、それは無理だって最初は思いましたよ。それに、私は妻であり嫁であり母でもありますからね。嫁の仕事も妻の仕事も、母の仕事もしっかりやりながら介護の仕事をしなくちゃいけない。でも、一人でそれを完璧にこなすなんて不可能です。結局、誰かの力を借りなくちゃいけません。だから主人や嫁ぎ先、実家にも相談して、よく考えてから決断しました。
最初は3ヶ月でもいいかからって話だったのに、気づけばもうここに来て3年です(笑)。どうにかこうにかやっていますが、家庭と介護の仕事を両立させるのはとっても難しい。でも実際は、私が頑張っているのではなく、私の実家と旦那の実家の家族が支えてくれているんですよね。家族の理解があるから、家族の協力があるから私はこうして仕事を続けていられるわけですが、その分子どもと家族には迷惑をかけているなっていつも思います。本当に家族には感謝しています。