(3) ずっと関われば、良い方へ向かうという自信になりました。

▲炊飯器を購入し、利用者さんに届ける。
―ヘルパーを10年やってきた中で思い出深いエピソードはありますか?
竹沢さん:そうですねぇ、重度の認知症の方でしょうか。嬉しさが半分と後悔が半分で、いちばん印象に残っています。
その方は持ち家で一人暮らしをしていたけれど、生活保護を受けながらホームレスのような生活をしていました。身なりは適当、競輪・競馬あたり前、足が悪いのにフラフラとどこへでも出かけてしまう自由奔放なおじいさん。それがね、生活はメチャクチャだったけれど、不思議と部屋の中はキレイにしている人だったの(笑)。
事の発端は、高血圧で看護士が必要にも関わらず、あまりに不規則な生活だから管理も必要との病院からの指示でした。最初は看護士さんが入っていましたが、食事とお薬の面がきっちりしないと血圧の管理できないので、ヘルパーが帯状に加わることになったんです。
大きな問題だったのは、拒否されるということ。最初の頃はアンタ誰だ!と敵対心むき出しで怒鳴られてばかりでしたから。一時間という限られた中でご飯を食べて薬も飲んでもらうんですが、ご飯をテーブルに並べても余計なお世話だ!と言われていました。認知症がすごく進んでいたから、全く話がかみ合わない状態。そうした日々が一ヶ月くらい続きましたねぇ。
―となると、丸々一ヶ月間は拒否され続けたわけですよね。めげることもありましたか?
竹沢さん:はい。モノを投げられることもありましたしね。でも周りが受け入れてもらえないなら、自分も受け入れられないのは当然だと思うようにしていました。無理して接近すると、離れていくのが目に見えて分かるんです。向こうから心を開いてくれるまで待つしかありません。何らかの接点が見つかればきっと思いは通じ合う、と期待するだけ。気合を入れてヤル気を奮い立たせ、毎日戦いに行くような感じでした。
▲利用者さんとしっかり手をつなぎ外出。足元や車などにも気を配る竹沢さん。
―なるほど。
竹沢さん:家に帰ったら、母であり妻であり嫁ですから。そっちを疎かにしたくない、という気持ちもありますね。それで、ある程度は線を引こうと。家族に迷惑はかけられないので。
▲利用者さんの買い物姿を見守る。
―どうされたんですか?
竹沢さん:生活ができるようになった矢先、梗塞が再発して入院することになったんです。本人は治療されていることも自分の体がおかしいこともわからないから、どうしても家に帰りたいんだと言ってきかない。
本来、ヘルパーは利用者さんが入院中の病院へは行かないのですが、たまたま用事があって病院を訪れたときに、おじいさんと目が合ってしまったんですよ。私に気づいた途端、家に帰してくれと懇願されたときは本当に辛かった。来なければよかったと思いましたね。胸が締めつけられる思いで「もうちょっと良くなったら家に帰ろう!」とできる限り励ますしかありませんでした。でも、それが最後になってしまって。
他の利用者さんもそうなんですが、最後のときはいつも後悔が残りますね。もうちょっと違う関わりをしていればと。この方は名前を覚えてもらうのも大変だったし、すごく苦労して関わったので、なおさら引きずる思いがあります。
だけど重たい認知症の方でも、ずっと関わっていけば絶対に良い方向へ行くっていう自信にもつながった利用者さんでしたね。