『ロングライフ』にて。障害の方のケアサービスを通じて
自分にはなかった物の見方や感情に気づかせてくれました。
ロングライフ代表の廣澤さん。穏やかで笑顔がステキな方です。
―13年間働いた永楽荘を辞めて『ロングライフ』に移られたのはどういう経緯で?
友人の家で、ここの代表・廣澤と出会ったのがそもそものきっかけです。廣澤は面白い経歴の持ち主で、警察官として働いた後は海外取引のある会社で昼夜逆転の生活をしていたそうです。夜出社して朝帰る生活のなかで、駅でヘルパーさんが笑顔でお年寄りを援助している姿を見かけたそうなんですね。その瞬間、人に「ありがとう」と言ってもらえる仕事っていいな、とふと思い立ち、介護事業所を立ち上げる決意に至ったという。その話しをその場で聞いていた私はつい「何かお手伝いしましょうか?」と言ってしまったんですよね。永楽荘で定年まで働くことに疑いを持たなかった自分には衝撃の展開でした(苦笑)。すごく悩みましたが、有難いことに多くの方が温かく送り出してくださって。その想いを胸に今があります。それに永楽荘には今でも色々お世話になっているんです。
事業所内の家具はスタッフの持ち寄りも多く、ソファ近くはくつろげる空間に。
―というと、今でもつながりがあるんですか?
ロングライフのサービスは訪問と障害の2つです。特養やデイサービスの機能は持っていないので、うちのご利用者さんでそのサービスを望まれる方がいれば永楽荘を紹介します。またその逆もしかり。本当にいい関係性でお仕事をさせてもらっています。また、ロングライフのスタッフは永楽荘の時のヘルパー仲間がほとんど。両方掛け持ちで働いてくれています。信頼できる仲間に日々助けられながら、一歩一歩前に進んでいる感じですね。
2人のお子さんがいらっしゃるママさんスタッフと廣田さん。
―辞めてからも関係が途切れることなく続いているってステキですね。先程、障害のケアとありましたが、それは廣田さんにとって未知の経験と思うのですが、実際されてみてどうですか?
驚きと発見の日々です。高齢者の介護とはまた違った多くの気付きがあるんですよ。なかでも、幼い頃の辛い体験が契機で言葉を話せなくなった方のケアは印象的です。その方は部屋に数十年閉じこもったままで、ご両親がずっと介護されてきたのですが、家庭の事情からヘルパー援助を依頼されまして。最初私がお家に訪問してその方と会ったのですが、あの時の戸惑いと不安といったら…。まず擬音でしか話せないので会話が成立しない、さらにずっと布団で寝ているので「自分には何ができるだろう?」とだいぶ悩みました。この方のケアは無理なんじゃないかとさえ思ったことも。それでも、自分を奮い立たせ何度か訪問するうちに、ある時、タタタタッと私に駆け寄ってきてギュッと私の手を握りしめてくれたことがあったんです。困惑しながらも、涙が溢れて止まりませんでした。私を受け入れてくれたその行動に、やっていけるって自信につながりましたね。それからは、その方が何を望むのか雰囲気で察せるようにもなり、今では長期目標に向かって少しずつ前進していってるな、と実感できます。
アイスをほおばる元気一杯の子どもたち。事業所内が一気に活気づきます。
―それはすごい体験…。障害者のケアで学ぶことも多そうですね。
この方に限らず、他にも色々なエピソードがあるんです。今度はそうきたか…と毎回悩みつつも、自分のなかにはなかった物の見方や感情に気づかせてくれたのは、障害者の方のケアに携わったからこそ。ただ仕事をこなすだけではなく、そのご利用者さんが生きてて良かったと思ってもらえるような関わり方を今後もしていきたいです。