(3)苦しみを実感、そして知るヘルパーさんのありがた味。
―亀井さんの前職は何ですか?
亀井さん:ゼネコン業界で現場監督をしていました。大学も建築学科だったから、まったくの畑違いなんです。サラリーマンの経験は、会社の流れの把握や事務作業する上で今でも役立っているかもしれません。
最終的には体を壊して仕事を辞めたんですけれど、入院先の看護士さんを見て、俺にはこっちが合ってると思いました。それが転機でしたね。だから、もともと福祉に興味があったわけではないんですよ。

▲前職から愛用している製図用シャープペン。芯がしっかりしていて書きやすいと言う。
―新しいことを始めるってドキドキですよね。
亀井さん:初めは勇気が要りました。でも一番ボロボロのときだったので、新境地へ踏み込む勢いはありましたよ。
―それまで介護に触れたことはあったんですか?
亀井さん:祖母の介護は少し手伝っていました。ヘルパーさんの協力があったから家族での介護が成り立っていましたが、ふだんは祖母と母との戦いです。母が夜中にこっそりと泣く背中を見たこともあったし、祖母がモノを投げる姿を見たことも。結局10年ほど祖母の介護は続いて、葬儀にはヘルパーさんも来てくれました。その時は、ヘルパーさんの顔を見た途端に涙が出てきましたね。この人にお世話になったんだなと思って。だから、介護は自分にとって決して遠い存在ではなかったですね。
▲同僚とランチ。仕事帰りのゴルフも一緒に。
―その経験は大きいでしょうね。
亀井さん:はい。祖母の介護で家族が苦しんだときには、何度もヘルパーさんに助けられました。だからこそ、家族側の苦しい気持ちや大変な状況、ヘルパーさんのありがたさも余計に分かるんじゃないかと思います。
私は会社の運営や経営側の仕事もやらせていただいているので、会社側の意見を求められることがあります。そういうときに、現場を知っている大切さは実感しますね。現場を知らないと経営側とヘルパー側の溝は大きくなるので、その間で接着剤代わりになればいいかなっていう。だから、今の私は"何でも屋"ですね。
(4)子供が「生まれ変わり」にさえ感じました。
―亀井さんはご結婚されていらっしゃるんですか?
亀井さん:はい。1年半前に結婚しました。
―ということは、ヘルパーになった後ですね。不安はなかったですか?
亀井さん:結婚するまでは、すごく不安でした。男として立派にならないと結婚できないとか、稼がなきゃ家族を養えないとか。子どもなんてとてもじゃないけれど、いまの給料じゃ無理だなあとか。色んなことを固めてから結婚だろうと思っていました。でも実際には、「あれ?こんなもんか」みたいな。

▲利用者さんの書類手続きに、市役所を訪れる亀井さん。
今はもうすぐ1歳になる息子がやる気の源です。あの子のためなら、何でもできるって思える。頭でっかちになっていたけれど、一歩を踏み出せばたいしたことはなかったですね。
―なるほど。そういうものなのでしょうか?
亀井さん:現状にぶち当たれば、意外に何とかなるんですよ。それに私の場合、子どもと仕事との間でちょっとした運命的な出来事があったんです。
―それはどんなことですか?
亀井さん:私がヘルパーに入っていたお宅の奥様が亡くなられた日と、子どもの生まれた日が一緒だったんです。
私はもともと奥様の夫である男性利用者さんの担当ヘルパーで、当時は元気だった奥様とも仲良くしていました。それがある日、奥様は脳梗塞で倒れしまい入院、意識がなく目も開かない植物状態に・・・。それから2ヵ月後、「最後は家で迎えたい」と倒れる前から話していた奥様を娘さんが家に連れて帰ることになさったんです。
▲亀井さん作成の文字盤。話せない利用者さんが文字を目で追い会話をする。
帰宅当日、私は利用者さんご夫婦のお宅で出迎えました。奥様の姿が玄関に見えると同時に、「お帰りなさい!」と私は元気よく声をかけたんです。すると、意識がないはずの奥様が微笑んだんですよ。これには驚かざるを得ませんでしたね。それまでの奥様の状態を考えたら、奇跡としか言いようがなかった。家まで付き添ってきた先生も、笑った顔は初めて見たと言っていました。ヘルパーは病院まで付き添えないから、私の声を聞いて家に帰ってきたことが分かったんでしょうね。意識はないけれど分かっていると思うと、ものすごく嬉しかったです。その場に居合わせたみんなが胸を打たれました。
その奥様が自宅で息を引き取られたのは、昨年の2月下旬。私が悲報を聞いたのは、妻に付き添っていた病院でした。こっちでは子供が生まれていたわけですから、悲しさと嬉しさ、生と死の狭間に立たされ何とも言えない複雑な気持ちになりました。あまりの偶然に息子が生まれ変わりにさえ思えましたね。
▲周囲のスタッフからは、「かめちゃん」の愛称で親しまれている。
―生まれ変わりですか。
亀井さん:ええ。この仕事は利用者さんの足や手の一部になることで、その方の人生に参加することができます。さまざまな生き方をしてきた利用者さんと触れ合えるのは嬉しいけれど、人生の1ページに自分が関わっているということは重く受け止めるべきだと感じましたね。辛いことや苦しいことがある分だけ、私にとっては魅力的な仕事なんです。
―将来については、どうお考えですか?
亀井さん:野望はありますよ。今の事業所にいるなら出世したいとか、一生続けるなら独立かな、とかね。
―もし自分の事業所を作るとしたら、理想はありますか?
亀井さん:小規模でも良いから、1人1人の利用者さんに心のこもった丁寧なケアのできる事業所が理想ですね。今はそのためにも、精進の日々です。
■編集後記
▲介護タクシー事業所の前に並んでいた白菜。
在宅ケア・サービスセンターは、設立して10年という新しい事業所です。
八王子市の中でも規模が大きいこともあり、スタッフは24歳から70歳代までとさまざま。社内は常に活気で満ち溢れていて、明るい雰囲気が取材するこちらの気持ちまで晴れやかにしてくれました。
▲在宅ケア・サービスセンターのみなさん。
この日、社長の河西伊代子様にお会いすることはできませんでしたが、亀井さんの
「社長は休みの日でも仕事に出てくるんです。人生の大先輩の仕事ぶりを見ていると、頑張らなくちゃって気持ちになりますね!」
という言葉からは、スタッフのみなぎる意欲や向上心、チーム力が窺えました。
丁寧に取材対応してくださった在宅ケア・サービスセンターのみなさんには、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。
「へるぱ!」運営委員会一同