ヘルパーの仕事は独特だ。見ず知らずの人の家に上がり込んで、味噌やら醤油やらのありかを知り、掃除機の具合からトイレットペーパーの保管場所まで逐一知ることになる。場合によっては、その家のご主人の性格や夫婦関係、家族間の人間関係など、知らなくていいことまで知ってしまうこともある。しかし、ヘルパーはそれを肯定も否定もしてはいけない。なぜなら、否定をしても肯定をしても「家族の歴史」に関わることになってしまうからだ。
「親には子どもに対する扶養義務(※1)があるのに、なんで子どもには年老いた親に対しての扶養義務(※2)がないんだ。そんなの、おかしいだろ?」
悔しさと寂しさが入り混じった顔で幸太郎さん(仮名)は私に訴える。定年退職後、夫婦でのんびり旅行でもして余生を楽しもうと考えていた矢先に奥様が倒れた。脳腫瘍だった。
「一度目の手術の時は無我夢中だった。とにかく元の生活ができるようにと、わき目も振らず妻の世話に明け暮れたよ。何とか日々の生活が送れるようになってやれやれと思っていたら再発してしまってね。2度目の手術は大掛かりだった。それからは・・・」
寝たきりになった奥様の傍らで幸太郎さんの声は消えていった。
奥様の頭の左右は手術によってえぐられ、起き上がる事は出来ない。会話も、食べることもできない。けれど、奥様の顔色はとても良くつやつやとしている。お世話が行き届いていることは一目瞭然だ。私は、幸太郎さんの声かけにウーウーと反応する奥様の姿に感動を覚えた。
ある日曜日、奥様の入浴介助で私は幸太郎さんのお宅を訪問した。家族全員で協力しあって奥様の入浴介助を行う―これが幸太郎さんの決めたルールだった。この日も、本来なら同居しているご次男とご長男の奥様の協力を得て入浴介助をするはずだった。ところが、ご次男が2階から下りて来ない。そのため、幸太郎さんの機嫌はすこぶる悪かった。
私はいつも奥様にお湯を掛ける係を命じられるのだが、ご次男の代わりに入浴介助をすると申し出た。けれど、幸太郎さんは納得しなかった。結局この日、ご次男の介助はなく、幸太郎さんの機嫌が直ることもなかった。
「夫婦二人で必死に働いて、子どもを懸命に育てて定年を迎えて・・・。そして妻が倒れたあの日から、妻の世話がボクの仕事になったんだ」。
この言葉を聴いて大きく頷くしかない私は、不思議な感慨で幸太郎さんの家を後にした。
家族の歴史はそのご家族にしか理解できない。どれだけ家の隅々を知り得ていたとしても、ヘルパーは家族ではないし、家族にはなれない。だから、安易に反応したり関わったりしてはいけない。何故なら、信頼を得るのには恐ろしいまでの時間がかかるが、信頼を失うには一瞬で十分だからだ。
そうならないためにも、私たち介護職員は利用者様やそのご家族の話を鵜呑みにして否定したり肯定したりしてはいけない。たとえそれが些細なつぶやきであったとしても、である。これもプロとして大事な心得だと私は思う。
「扶養義務」についての補足
扶養義務自体は「親⇒子」、「子⇒親」のどちらの場合にも発生します。しかし、内容が違います。
親⇒子どもに対する扶養義務(※1)
親の子に対する扶養義務は「生活保持の義務」と呼ばれます。
生活保持の義務の場合、俗に「1杯のメシも分けて食う関係」と言われますが、たとえ自分の生活レベルを下げてでも、自分と同じ程度の生活をさせる義務があるとされます。
子ども⇒親に対する扶養義務(※2)
子の親に対する扶養義務は「生活扶助の義務」と呼ばれます。
生活扶助の義務の場合、子が社会的地位相当の生活を送った上で、なお余裕があれば、その範囲で最低限度の金銭的援助をすれば足りるとされています。