「あなた、ウインクが下手ねェー。こうやるのよ」
見事にパチッと片目をつむりウインクをして見せる可愛らしい老齢の美人は、やわらぎのデイサービスのお客様だ。私も会うごとに練習させられるのだが、片目だけをつむるのはかなり大変で、そのたびにこの台詞を浴びせられている。他の職員は日々の訓練でだいぶ上手になったようだが、私は未だに悪戦苦闘中。その姿を見てご利用者様は「石川さんだって、頑張ればできるようになりますよ」と一言。勝ち誇ったようにこう言われると、ついつい本気になってしまう。私も単純だ。
ある日、職員から相談があると連絡が入った。私はデイサービスへ出向き、話を聞くことにした。職員の話によると、ウインク上手なこの方の身体にアザが見つかったとのこと。その場所から考えて、アザは転んでできたもとは考えにくく、虐待によってできたものではないかと推測されると言うのだ。
「まさか、あんな素敵な方が?!」
アザはどこにあったのか、いつ気付いたのかと職員に聞きながらも、私の頭の中では疑問と違和感がぐるぐると回っていた。
定例の夕方のミーティングの際に、この件について話をした方がいいのかと職員は質問してきたが、私は少し時間が欲しいと言ってそれを断った。そして、この件について職員ひとりひとりに話を聞いて情報を集めてみることにした。
その結果、アザはこれまでに一度もなく、この日に始めて見つかったのだと分かった。しかし、それ以外に特に問題らしい話は挙がってこなかった。家族との関係に関してはケアマネージャーにも確認をしたほうが良いと思い、アザのことはあえて伏せて話を聞いてみたが、答えは同じだった。家族との関係も悪くない。だとすると、私たちの思い過ごしかもしれない。私はデイサービスの入浴担当の職員に1ヶ月ほどご利用者様の身体をつぶさに観察するよう指示し、その間、様子を見てみることにした。
数日後、別の場所にまたアザを発見したとの報告を受けた。「何かが、おかしい」―プロの勘が働いた。私はすぐにケアマネージャーも含めた内部ミーティングを開くことにした。そのミーティングの中で、ひとりの職員からご利用者様のお孫様に関する報告が挙がった。
職員曰く、ご利用者様をご自宅にお送りすると、必ず中学生のお孫様がお宅にいらっしゃるとのことだった。ところが、ご利用者様が帰宅しても、職員が何度も挨拶をして呼びかけてもお孫様は無反応で、玄関に出てくることはないらしい。時間の都合上、職員もそう長居をするわけにもいかないので、ご利用様にはいつも玄関先に座って頂き、家の奥に居るだろうお孫様に声をかけて辞去してくると言う。
この報告を受け、そこにいた誰しもの頭にひとつのイメージがよぎった。
「ひょっとしたら・・・」。
私たちとケアマネージャーは、ご利用者様のご息女と話し合いをすることにした。
私たちの勘は当たっていた。ご利用者様がデイサービスから帰ってくるのを自宅で待たなくてはならないことが、お孫様たちにとっては不満だった。そして、その不満が直接利用者様に向けられていたのだ。その全てを、ご息女は知っていらっしゃるようだった。
事情を知ってしまったからには、そのまま見過ごすわけにもいかない。私たちは受け入れ体制を整えるために新たにヘルパーを派遣することを提案、ご息女はそれを承諾してくださった。
「しようがない」、「どうにもならない」、「手のつくしようがない」などと言って諦めてしまっては答え=解決策など出てこない。「どうしたらいいのか」、「何とかしよう」と前向きな意識を持って問題に挑むからこそ、素晴らしい答えが導き出されるのだと、私は日々感じている。
今日、高齢者虐待については様々なところで話題になっている。こうした「問題」は、小さな芽のうちに摘み取っておかないと「事件」に発展してしまうかもしれない。取り返しのつかない事態になる前に、問題を見つけ、芽を摘み取ること―これも私たち介護に従事する者の大きな勤めであり、腕の見せ所でもある。介護のプロフェッショナルである私たちは、その重要性をしっかりと認識しなくてはならない。