介護と必死に向き合った13年間
会社の経営管理も、ご利用者さんやヘルパーを守るために必要なこと
社長自ら手入れをしている広い庭には、小さなログハウスが!
―周囲の協力を得ながら、黒川さんがまず飛び込んだ仕事先は、地域でもきつい業務内容で有名の事業所だったとか?(苦笑)
入ってからその事実を知ったんです(笑)。そこで5年勤めれば、どんな事業所でも大丈夫だろう…と言われていたほどで。面接では「ダメだったらすぐにきっぱり辞めてもらいますから」って釘をさされました。
庭の至るところにもぐらが活動した足跡が点々とあります。
―それは、身が引き締まりますね(苦笑)。そこでの黒川さんのお仕事内容はどういうものだったのでしょう?
身体障害者療護施設だったのですが、一般的な介護に加え、今では看護師が行うようなことまで何でもやりました。3年目になった時には、グループチーフを任され、職員の指導やケアプラン作成、さらに働く環境を整備する委員会設立などにも参加しました。
みかん、柚子、トマト…。庭には色々な作物がたわわに実っています。
―本当に幅広い業務に携わったんですね。大変ながらもやりがいを感じられたのでは?
はい! その当時は辛いと感じることが多かったですが、今思えば、これだけの実体験が得られる現場もそうそうないですから。私にとっては、かけがえのない財産だと思っています。
本日の昼ご飯は具沢山な豚汁に小鉢が2種類。とっても健康的!
―そこを5年勤めた後、ヘルパー養成学校でヘルパー2級講座の講師をされていたんですよね!?また少し違った方面になりますね。
そうですね。とはいえ、実は若い頃、小学校の教師になる夢を追っかけていた時期もあったので、人に教えるということは本質的に好きなんだと思います。いざ教壇にたってみると「あれれ!?楽しいぞ!!」って(笑)。
厨房では、忙しそうにみんなの食事をつくっています。
―現場とは違った楽しさや発見などありましたか?
指導する立場になって、生徒たちの心に伝えたいことを響かせる授業って何?というのは常に考えていました。案外、横道にそれた話や自分の経験を語るなかで本質について触れるほうが、生徒たちに伝わるんですよ。突然目の色が変わったりして。伝わった!! と感じ取れた瞬間は何よりも嬉しかったです。
玄関に展示された打掛は、ご利用者さんが誕生会で羽織ることも。
―講師を1年半経験された後は、グループホームに3年間いらっしゃったということですが……。
ここは、自由という言葉がぴったりのアットホームな雰囲気で。私が出勤すると「お帰り~」、帰宅する時は「いってらっしゃい」と言ってくれるような“我が家”のような場所でした。ところがある時を境に、経営方針が営利主義に走るようになってしまって…。ケアプラン作成も兼ねていた私としては、ご利用者さんに本当にさせて頂きたい介護が金銭的都合でできないジレンマに苦しむようになりました。色々改善の努力はしてみたものの、会社の方針にYESである人が優遇される風潮ができてしまい、もうここには居場所がないのかなぁ…って。
その後は、そこで取得したケアマネの資格を生かして居宅で働くことにしたんです。茨城県内でも大規模な事業所だったので、営業所管理やケアマネの育成トレーナーということも経験しました。
―それはまた、新たな分野での挑戦になりますね?
そうですね。最終的には会社の経営に関わる部分も任されて。正直、荷が重かったです(苦笑)。民間は売上数字もやっぱり大切ですから。でも『正当な介護報酬をもらうには健全な経営を!』という考えは嫌じゃなかったんです。そこがしっかりしていないと、結局は私たちがご利用者さんにさせて頂きたいと考える理想的な介護も出来なくなり、ヘルパーも守れないということを理解できたので。この経験は私にとって、とても大きいものでした。