介護とは、「いまがすべて」
利用者さんが想像する“いま”を感じとる
―田中さんが訪問介護の帰宅途中でつぶやいた「自分の体から自分を抜き取って相手に入れることができるかが勝負」という言葉が印象的でしたが、これはどういう意味ですか?
利用者さんが自分だったとしたら、という意味です。私たちにとってはなんてことない傾斜がかった道路も、障害者の人だったらどう感じるんだろう? とか、認知症の人にとっては、日常すべてが「えっ?なんだっけ・・・」と思いながら暮らしているわけです。バスを乗り降りする行為ひとつとっても、この人が迷うのはきっとこういうところなんだな、って、常に相手の立場にたって考えるよう心がけていますね。
>電車を待っている間も、同じ目線にたって利用者さんに声をかける田中さん。
―利用者さんをより深く理解するために、相手の気持ちになってみる・・・これは、普通の人間関係でも同じことが言えるような気がしました。田中さんはその点を重視して介護されているんですね。
なかでも認知症の方には、今でもない、過去でもない、その人がいる思いや考えを察して、利用者さんにとって一番心地よいと思える場所を見つけてあげたいなってよく思います。多くの利用者さんは、色々な想像のなかで生きています。いまは何月何日の何時何分で・・・なんて思って過ごしている人は私たち含め少ないですよね? もしかしたら戦争中の飛行機から爆弾が落ちてくるかもしれない、って思っている人もいるかもしれない。バリバリ働いていた頃を生きているかもしれないし、そうかと思えば次の瞬間、違う時間軸にいたり。そうした1人1人の“いま”を感じてあげることが必要なんだと私は思います。
―その人だけに存在する“いま”を感じとるのって難しいですよね。でもそれが気づけてこそ、利用者さんとの距離感もぐっと縮まるのかもしれません。やはり、それが田中さんにとってのポリシーでもあるということでしょうか。
私の介護は「いまがすべて」です。利用者さんは人生の終着点でもあるターミナルがある程度見えていて、どうしてもそこに向かわざる終えないわけですよね。それが明日なのか、来年なのか、5年後なのか、必ず訪れる死を目の前にして「私がやれることは何だろう」と考えたときに、色々なことを抱えながらも今こうして生きている利用者さんにその時精一杯の介護ができれば、後悔しないって思います。いまやらずしていつやるんだ!という気持ちでいつもいますよ。そう思えるようになったのは、過去の反省点と経験があるからなんでしょうね。
和気あいあいとした心地よい空気感。帰ってきた人には「おかえり~」とみんなの声がけが。
―反省点というと、過去の失敗から色々学んだこともありました?
いや、失敗という失敗はあまりないんです(笑)。逆に介護はこれが正解!というのも見えづらいですから。でも、志半ばで亡くなった利用者さんがいたなかで、もっとこうしてあげられたのに・・・と思う部分はいっぱいありました。だからこそ今の利用者さんには今やらなければ間に合わない!って思うんです。
―心に秘めたる田中さんの熱い想いを、利用者さんの接し方を見させていただいてすごく感じることができました。だからこそ、利用者さんも安心して田中さんに身をあずけることができるんだなぁ・・・って。
利用者さんにとって、お風呂のお湯のような存在でありたいんです。「何だかほっとする」って。隣に座ってても邪魔にならないし、家にいても違和感を感じない、でも存在としては認められている・・・そんな人でいたいです。また、何かあったとき「あの人がいる!」って思ってくれたら、私としては最高に幸せですね。それは利用者さんだけじゃなくて、そのご家族にとっても同じです。