「へるぱ!」が始まるのでコラムを、との依頼がありました。
次回からは、認知症ケアや介護サービスについて書きたいと思っていますが、まずは、私がホームヘルパーをしていた頃の事例を読んでいただければと思います。
この事例の視点は「介護とは何か、命とは何か」を教えてくれるものです。
今後、ケアに悩んだ時も、きっと「あの事例だ」と思い出してもらえるのではないかと思うのです。
私は大好きなホームヘルパーとして昭和62年から介護保険が始まる少し前まで、約12年間活動していました。
当時、私は行政のホームヘルパーという立場でしたので、訪問対象は生活保護受給の方が半数を超えていたと思います。
平成に入ってもサービスの種類がそう多くあるわけではなく、毎日のように訪問するにも十分な数のホームヘルパーがいませんでしたから、週3回とか4回というと利用頻度は高いほうでした。
年々、社協(社会福祉協議会)や農協、生協などサービスを提供する事業体は着実に増えていきましたが、決して満足するサービス量には至っていませんでした。
介護経験が長くなると利用者の死に遭遇するものです。
80歳代のA氏は、健康状態が思わしくないことと、大家さんから「そろそろ1人暮らしは危険なのではないか」と言われることが多くなり、施設入所を考えるようになりました。
A氏の場合、自分自身で積極的に施設入所を選択したわけではなく、既にA氏の妻は認知症で3年前から施設で暮らしていましたし、大家さんや行政の担当者に施設入所を勧められることが増えたため、それを断るわけにいかない状況だったのだと思います。
施設は大勢のお年寄りが暮らす場所ですから、環境上、これまでの生活用品すべてを運び込むわけにはいきません。
担当のホームヘルパーは、訪問のたびにA氏と一緒に身の回りのものを片付けました。
A氏にとって、すべての生活用品に思い出があったはずです。
しかし当時は、施設に生活の場を移す際、身の回りのものはダンボール3個程度しか持って行くことができませんでした。
担当のホームヘルパーは、A氏を施設に送り出す日が近づくと「Aさんの元気がなくてね・・・」と、頻繁に職場のホームヘルパー達に話していました。
施設入所をその日の午後に控え、生活してきた室内はおよそ片付きました。
ダンボール3個に身の回りのものは詰められ、あとは施設に向かうだけです。
担当のホームヘルパーは「Aさん、夕食までは時間がありますから、少し何か食べてから行かないとね。軽いものを作りましょう。うどんでも買ってきましょうか?」と言うと買物に出かけました。
出かけた時間はわずか15分か20分くらいでした。
買物から戻ったホームヘルパーは、A氏に「うどんを作りますね」と声をかけました。
ところが、A氏から返事がありません。ホームヘルパーは横になっていたA氏のそばまで行って、「Aさん、うどんを煮込みますね」ともう一度声をかけてみました。
しかし、やはり返事がありません。
Aさんは亡くなっていました。
担当のホームヘルパーのショックは大きく、何と言葉をかければいいのか分からないほど落ち込んでいました。
しかし、時間が経ち、静かに物事を考え始めると、担当のホームヘルパーが「元気がないのよね」と言っていたあの頃からAさんのその日の出来事は有り得たことなのだと思われるのです。
次回に続く…