(3) 「相手を理解すること」がなによりも大事
▲自宅に到着後、事業所まで徒歩で移動する利用者さんと井野さん。
利用者さんの安全を気遣って、常に道路側を歩く井野さんの姿が印象的。
―一番大変なことは何でしょうか?
井野さん:相手を理解すること、ですね。行動援護を必要とされる方というのは行動自体に障害や問題がある方なんですね。例えば目的地までひとりで移動できないとか、突然パニックを引き起こして走り出したりするとか。とにかく色々なパターンが考えられます。それをまずは理解しないことには支援になりません。その時々によって利用者さんの気分も違うし、感覚も変わります。だから、問題行動を起こす原因がまるで分からないこともあります。
重度の知的障害や自閉症の方だと、意思疎通さえきちんとできない場合もあります。それでも、僕は相手を理解したいと思っています。これが一番大切で一番難しいことだと思いますね。
▲「これも買うの?お金、足りるかな?」
利用者さんのお買い物を手伝う井野さん。
―高齢者の介護とも共通する考え方ですね。
井野さん:そうですね、障害児・者であれ、高齢者であれ、「相手を理解する」というのはとても難しくて大切なことだと思います。視覚障害や高齢者、身体障害者の場合は明らかですからね、分かりやすいので周囲の理解も得やすい。周囲もわりと協力的に動いてくれます。しかし、知的障害の場合は本当に分かりにくい。特に自閉症だけだったりすると、一見普通の人と変わりがありませんしね。だから、いやな目で見られることもまだまだ多いし、ちょっとしたことでトラブルが発生することもあります。
高齢者の場合は体の自由が奪われていくわけですが、障害児・者の場合は違います。体も心も元気そのものです。ただ、他の人とは違う個性を持っているというだけに過ぎない。だから、サポートさえあれば、伸びる可能性は無限大に広がるんです。ただし、それには周囲の理解が必要です。
けれど、理解できない人もいます。突然暴力的になったり、無反応になったりすることの原因が障害だと分かってもらえず、障害児・者が責められることもあります。これじゃいけないと僕は思うんです。本当は誰もが互いを理解するべきなんですよね。そうでないと余計な誤解が生まれてしまう。叱るべきじゃないのに叱ってしまって、余計にパニックを引き起こすことになりかねない。これでは悪循環なんですよ。
―まだまだ知的障害児・者に対する世間の理解は低いとお考えですか?
井野さん:身体障害者や高齢者と比べると、まだまだかなぁと。世間の目も、制度的な側面でも高齢者の介護ばかりにクローズアップしている気がします。もうちょっと制度が変わってくると、障害児・者の周囲も変わってくると思うんですけれどね。