私が今まで生きてきて、何人の人にケアをしていただいたか数え切れない。気持ちのいい手や、ちょっと怖い手や、迷いのある手や、怒りがこもった手など、触られると感じ取れる。顔を洗うとき毎日違ったやり方なので、自分の手だったらどうやるんだろう?と、頭でイメージしてみる。しかし、夢の中でも私は手が使えない。ちょっと悲しい。
どんなに障がいが重くても、地域で一般の人たちと生きようと私たちは願い、札幌いちご会をつくり、行政と激しい戦いを行ってきた。そして、いちご会は一億円の資金をつくり、社会福祉法人アンビシャスを設立した。地域で生きるための障がい者大学である。
ある日、私は風邪をひき出勤したが、女性職員がいなかったので、男性職員に鼻をかんでいただいた。それがみごとに上手であり、指先がなめらかでおさえ方も柔らかく、鼻水が出やすくなり、口につくこともなく、心地よく鼻をかむことができたのだ。この人の指こそ、鼻をかむときだけ私の手かもしれない…と思った。「あなたは世界一鼻をかむケアがうまい! 会計をやっているのはもったいない!!日本中の介護学校に行き、鼻のかみ方を教えたらどう?」と、言った。
このような出会いが数え切れないほどある。髪のとき方が下手でも、身体の洗い方がものすごく上手な人がいる。そういう発見を私たちは毎日している。どんな人でも、ケアの天才はいるのである。ケアを行っている人たちは、そのことに気づかないでいる。何が天才なのか、ケアを受けている人がはっきり言わなくてはいけない。
ケアを今行っている人たちは、自分の手が何が上手か天才か知っていますか? 知らないでしょ? だからこそ、看護学校や介護学校には障がいの重い人たちが働くべきなのです。してあげるばかりの教育には限界があります。だれでも器用な、天才的なものは持っているはずです。それを知ることが生きる楽しみになるでしょう。頑張ってね。