地球は常に動き、生きている。
傲慢な人間が地球に勝とうと立派な建物を建てても、一瞬にして奪い去るときがある。原発を守ろうとして高い塀をつくり、まだ懲りずに原発を運転しようとしている。どんなに高い塀をつくっても、自然の力には勝てない。豊かさの中に私たちは心地よく生きてきた。しかし、大きな落とし穴があった。科学者は何で原発を急いで使ったのか。事故があったとき、放射能を消せるものができたときに初めて、使ってもいいのではないだろうか。陸にも海にも壁はない。どこが安全か、なんて保証は誰にも言えない。風や波がいろいろな所に放射能を流していく。津波が流れて町を壊していくシーンは、映画のようであった。夢であればいい、と私は目を閉じた。何度目を閉じてもやはり現実だ。
私は原発のことがすごく気になった。大丈夫かな。あれが壊れたなら大変なことになる…と、何気なく感じていた。何気なく思っていたことが現実になった。 避難していた人たちは、平和な生活から地獄に落とされたようだろう。避難所でも床の上に毛布を一枚敷いて、寝ている。自分があの避難所にいたなら、体中痛くて、呼吸が止まってしまうかもしれない。「やわらかな布団がほしい!ベッドがほしい!」とわめくかもしれない。しかし、そこは『私は障がい者だから』という言葉は許されない。家や家族を失った人たち全てが障がい者だからだ。地震と津波により、多くの人たちがケガや病気に苦しんでいる。障がいを持った人たちが間違いなく増える。ヘルパーの仕事をしていた人たちも、家族を失い、仕事に手がつかないだろう。
元気のいい地域の障がい者たちが、ケアを教えてあげ、ボランティアに行ってほしい。そこで、生きがいを見つけた人は、その人たちの手足になってほしい。“器用な手”“温かな手”になり、心を撫でてほしい。鼻のてっぺんがかゆくても我慢している人たちに、手を捧げてほしい。お願いします。