へるぱ!

今回のヘルパーさん

第66回 青木 里美 さん

千葉県・常磐線北小金駅から徒歩5分ほどの場所にある『認定特定非営利活動法人 たすけあいの会 ふれあいネットまつど』でサービス提供責任者として働く、青木里美さんにお話しを伺いました。

営業職から介護職へ。専門、大学で学んだ4年間。

“心”を土台に知識や技術がプラスされて、人の役に立てるんだということを学びました。

―青木さんは、介護職に就く前、営業のお仕事を長くされていたと伺いましたが。

元々は営業事務でした。ところが途中でバリバリの営業へ異動になり、『私には無理…』なんて思っていたんです。でもいざやってみると、営業ほど面白い仕事はないな、って。色々な方からお話を聞く機会があるので、学ぶことも多く、自分のなかに引き出しがどんどん増えていく感覚が楽しかったですし、有り難いなと。例えば、相手の方が「釣りが好き」と言うと、その関連の本を読んでみるんです。その方にまたお会いする際には、得た知識を織り交ぜながらお話をする。すると、とても喜んでくださるんですよね。自分の好きなことに興味を持ってくれた、というのはやっぱり嬉しいんですよ。こうした感覚は私の肥しになっていて、今の介護職にもすごく活かされています。

―青木さん自身、営業職が楽しいと思えたということは、人と会って話すのが得意な方でもあるんですね。

ですかね。「“人と仲良くなる”を特技のなかに入れてもいいぐらいだよ」と言われたことはあります。どんな時も、相手のお話を聞く、教えていただく、という姿勢で入っていけば大丈夫ですよ。

―その後、介護職にはどのような経緯で?

ヘルパーの資格は、父が他界し、母が実家で独り暮らしとなるのを支援するために取りました。転職も考えていた時期だったので、学校に通うと同時に勤めていた仕事も辞めて。ところが、資格取得できた矢先に母が心筋梗塞で倒れて病院生活になったんです。そのため自宅で手助けするというよりは、ずっと付き添いで私も病院にいる生活が続き…。その間福祉について改めて考えるようになりました。母は認知症状で、寝なかったり、ベッドから降りたり、点滴を抜いてしまったりで、家族がいない時はベッドに拘束されるようになりました。そんな病院の体制を肌で感じながら、色々考えさせられることも多くて。福祉により一層興味が湧いてきた頃、ハローワークで介護福祉士になるための訓練制度があるよ、と教えてもらい、通うことに決めました。

―ではその専門学校で介護福祉士の資格を取ったわけですね。その後はすぐ就職を?

いえ。その後大学に行ったんですよ。介護福祉士を取得するための2年間で母と主人を亡くしました。当初は、二人の面倒を見られればと思って頑張っていたのに、その対象を失ってどうしたらいいんだろう、と。でもそこで途方に暮れるのは嫌でしたし、福祉ってもっと深いんじゃないか、と学びたい欲がどんどん出てきて。もっと広い視野で福祉を勉強するために大学に行くことにしたんです。

―そうだったのですね。辛い経験をたくさんされて、それでも常に前を向いて歩いてこられたんですね。大学で福祉を学んでみてどうでしたか?

簡単に“福祉”と言うれど、一言では語り尽くせないですよね。100人いれば、100通りの支え方がある。色々なことを知っていないとダメですし、かといって知識だけあってもダメ。人に対する考え方や想いがないと、いくら知識があっても漏れてしまうんですよ。“心”が土台にあって、そこに知識や技術がプラスされて、初めて人の役に立てるんだということを徹底的に学びました。

―なるほど、深いですね。在学中は、卒業後のビジョンなどあったのですか?

はい。社会で孤立している人たちの手助けをしたいと考えていました。それは今でも持ち続けている夢です。介護サービスを受けている人たちは多少なりとも人との関わり合いがあるけれど、そういうのが全くない人も必ずいて。家から出ずに社会や地域から断絶されている人たちの発掘やコミュニティ作りができないものか、と。でもそれをやる前に、まずはそこに住む人達のことをもっと知らなければ、と思いました。そのためにまずは、地域や在宅で生活する方々の想いを知ることのできる訪問を経験してみよう、と。それでたまたま大学の卒論で視察させていただいた今の職場『たすけあいの会 ふれあいネットまつど』の副代表の奥田に声をかけていただき、こちらで働くことになりました。

―何だかお話を伺っていると、何かに導かれるようにして介護に足を踏み入れた感じがしますね。

本当ですね。自分の前に起きることや人との出会いは、必ず何か理由があって起きているのだとよく感じます。今があるのも、きっとなるべくして、なんでしょうね。

活動が多岐にわたる『たすけあいの会 ふれあいネットまつど』とは?

決めたことに対して、みんなで集中してやり遂げていく行動力があります。

―『たすけあいの会 ふれあいネットまつど』(※以下『ふれあいネットまつど』に省略)の業務形態について教えてください。かなり幅広く事業展開されているとのことですが。

そうなんです。「困ったときはお互いさま」のたすけあいの精神で、支え合い、助け合いの活動を行っている団体なので、様々な活動をしています。介護保険のサービスとして、居宅、訪問、それに障害者総合支援があります。事務所の並びの部屋には「ふれあいの居場所みんなんち」が。市民や地域の人の交流場として提供していて、1回100円でコーヒーを飲みながら気軽に利用できる他、月に数回講座も開催しています。先生をお呼びして、折り紙、絵手紙、クリニカルアートなどなど。月に一度、会員さんの誕生会もやっています。その他、施設ボランティア活動、またチケットを介在した有償ボランティア活動「ふれあいサービス」があります。制度ではカバーしきれない部分を補うかたちで移動、生活援助、病院等の施設内サービスなどをしているほか、草取りや庭木の剪定なんかもやっています。うちは国土交通省認定の福祉有償運送の登録団体なので、運転スキルを活かせるとあって、男性ボランティアの会員さんが約半数も。福祉有償運送認定講習団体でもあるため、運転者の養成もしています。男性が多く働く事業所というのも、他にはあまり見かけられない特徴なのでは、と思います。また、東日本大震災の際は、復興支援活動として、発災直後から宮城県東松島市の支援をずっと続けています。

―想像以上に活動が多岐にわたっていてびっくりしました! 男性ボランティアの方って年齢層はどれくらいなんですか?

60代、70代の方が多いですね。上は80代の方もいますよ。障害の方の送り迎えとか大活躍してくださっています。いわば、団塊シニアの社会参加ですよね。『ふれあいネットまつど』は、元々誰かの役に立ちたいという人の集まりからスタートしているNPO団体なので、自ずとボランティア精神旺盛な方が集まるんです。困った時はお互いさま、という助け合いの精神が根底にあって、それに賛同した方たちが登録してくださっているので、心の温かい方たちが本当に多いです。

―想いが人を呼ぶってステキですね。復興支援の活動ではどんなことを?

発災直後、ボランティア会員の方たちから何か出来ることはないかという声があがり、高齢なので瓦礫の撤去はできないから、レギュラーコーヒーを入れてみんなに飲んでもらおう、と東松島市の仮設住宅側でパラソル喫茶というのをやりました。ボランティアバスで2ヶ月に一度行っており、今でも続いている活動です。とても喜んでいただけて、今では、そこに住む方たちとも家族的な繋がりが続いていますね。他にも仮設に住む子供たちが参加するキャンプやクリスマス会を開催したり…。昨年は、さんまを焼きました!

―さんま(笑)?

被災地の復興支援の一貫で、「さんま祭り」をやりました。宮城県で獲れたさんまを300匹ほど焼いたんです。事業所前にテントを張って。さんま、豚汁、ご飯をセットにして500円。まるまる太ったさんまは美味しかったですよ!すごい人が来ました。テレビの報道も入ったりで大賑わい。たかだか20名にも満たない団体が、ボランティアさんの手助けも借りながら、これだけの大規模イベントをやり切ってしまうのはすごいな、と毎度のことながら思います。

―すごい話ですね。「何かしたい」という想いを行動に移せる方たちが揃っているんでしょうね。

副代表の佐久間と奥田がやるぞ!と決めたら、みんなそこに向かってパッと動く集中力はすごいです。持っている能力は各々最大限に活かす…というか、活かさせられる、みたいな(笑)。体力勝負なところもあって大変ですが、とても勉強になるので、楽しく関わらせてもらっています。

―『ふれあいネットまつど』をあえてカラーで例えるなら、何色だと思いますか?

うーーん(悩)。虹でしょうか。それぞれ個性が強くて色々な色が混ざっているので(笑)。でも一つに集まれば輝くし、すごいぞという意味でも虹ですかね。

ご利用者さんとの関係性。サ責として、そしてこれから。

他人の価値観に対応できる器を作っていきたいな、と思います。

―青木さんがサ責になられたのは昨年の10月ということですが、介護職に就いたばかりで、すぐにサ責になられたことについて、心境的にはどんな感じですか?

実はサ責としては、前任者から今も引き継ぎをしている状況です。特に事務作業は分からないことも多くて、苦労しています。1日に訪問が数件入ると、事務所に戻ってきた時には頭がボーっとしてしまい、なかなか事務作業に頭を切り替えられなくて。家事支援って、身体介護より大変なんだな、というのもやってみて感じたことです。

―というと?

身体介護って、これをやったら終わりというのが割とはっきりしているんですよ。でも家事支援は、お風呂を洗ったり、掃除機をかけたり、その方によって作法が違うので、作業中、神経をすごく使うんです。利用者さんから見られているし。だから疲労感もそれなりに…。でも、この間すごく嬉しかったことがありました!

―訪問中での出来事ですか?

はい。気難しいご利用者さんで、最初は訪問中も「あなた誰?」みたいな感じで私のことを覗いてくる方がいらして。でも何回か訪問を繰り返し、徐々に心を開いてくださり、年明け、訪問しに行ったら「あー!」ってその方がハグしに来てくださったんです。もう本当に嬉しくて! やっぱり、なかなか自分を受け入れてもらえない、拒否されるご利用者さんに出会うと、訪問するのが嫌になるじゃないですか。でもその気持ちって必ず相手に伝わるんですよね。それではいい介護ができない、というのは分かっているので、自分から心を開いていこう、と努力はしていました。同じ人間じゃないから、100%は理解し合えないけれど、『相手を理解したい、寄り添いたい』というメッセージは送り続けよう、と。それがハグの瞬間“繋がったな”と思えて、感動しました。そうした小さい積み重ねで、ご利用者さんが変化していくのを感じるのも、この仕事の楽しみかもしれません。

―先程の『寄り添う』というのもそうですけれど、青木さんがご利用者さんと距離を縮めるために心がけていることって他に何かありますか?

そうですね。いかにその方の本音を引き出せるか、そのための環境づくりには気を配っています。よくご利用者さんが「話をしたいの」と言うんです。寂しいんだろうな、と思うんですよ。親子だと遠慮するような話も、ヘルパーだと関係ない他人だから、つい本音で喋れるということもあるじゃないですか。本音が聞ければ、より良いサービスにもつながるので、そこは意識しています。あと、最近参加した研修で「福祉は他人の価値観で仕事をさせていただく。それでお金をいただいている」という言葉がありました。納得です。こちらの価値観を押し付けないよう、価値観の多様性に対応できる器を作っていきたいな、と思っています。

―なるほど。では最後に、今後の展望を教えてください。

まずは、最近入社したばかりの新人指導をしっかりと。私も新人なので「どうしよう~」とは思うのですが(苦笑)、一緒に勉強していくという気持ちで、共に成長していけたらなと思います。色々心の内に溜め込むのが一番よくないので、相談しやすい環境を作ってあげたいな、と。あとは介護の土台でもある“心”を育てていきたいですよね。これがあればどこでも通用すると思うので。また、サ責業務をしっかり覚えてこなすことです。地域を知るには、今の訪問介護のサ責はいいポジションだと思います。一ヘルパーよりも広い視野で見られますし、責任感という意味で、ご利用者さんを支えたい気持ちがより強くなりました。そしていつかは、大学時代に夢見た、孤立化した人たちの発掘と支援ができればいいですね。介護保険制度が改正に伴い、「生活支援コーディネーター」という位置づけもあるので、そこに向けて、今は一歩ずつ色々なことに取り組んでいけたら、と思っています。

編集後記

お話を伺えば、わずか数年の間に辛い経験を多くされているとのこと。でもそんなことを感じさせないほどに明るくて、温かい雰囲気をたたえた方でした。“辛い経験が人を強くもする”という言葉があるように、それを力に変え、「人の役に立ちたい」という真っ直ぐな気持ちのまま前を向いて進む青木さんの姿に学ぶことも多かったです。また、初対面でも全く壁を感じさせずとてもフレンドリー。話せば話すほど、青木さんの魅力に引き込まれて、「お友達になったら楽しそうだな」と思ってしまいました。きっとご利用者さんの心にもスッと寄り添っているのでしょうね。

今回、取材にご協力いただいた青木里美さんをはじめ、『たすけあいの会 ふれあいネットまつど』の職員の皆さまには心からお礼を申し上げます。

「へるぱ!」運営委員会一同

事業所紹介

◆認定特定非営利活動法人
たすけあいの会 ふれあいネットまつど

〒270-0003
千葉県松戸市東平賀7番地-2

TEL.047-346-0866
FAX.047-346-0088
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事業所紹介

青木 里美さん

認定特定非営利活動法人 たすけあいの会 ふれあいネットまつど
サービス提供責任者
社会福祉士/介護福祉士

勤務年数:10か月/介護歴:10か月

趣味

自然散策・畑仕事

実家が山の中にあったので自然に触れ合うのが日常でした。今でも疲れれば、自然いっぱいの実家に戻り、自分を解放してあげるんです。とてもいい気分転換になりますね。また、両親が農家だったので、畑仕事も得意。事業所裏のスペースに昨年、ボランティアさんと一緒に「ふれあいガーデン」を作りました。夏はゴーヤのカーテン、ひまわり、野菜も実っていたんですよ。

座右の銘

「子供叱るな、いつか来た道。年寄り笑うな、いずれ行く道。」

20代の時に、50すぎの女性の方に言われて印象に残っていた言葉です。今になってよく思い返すのですが、本当にその通りだな、と身に染みて感じるようになりました。誰でも必ず年老いていくわけなので、この言葉は、常に心に留め置いていますね。

 

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