へるぱ!

季刊へるぱ!インタビュー

丹野 智文(たんの ともふみ)

認知症当事者のための物忘れ総合相談窓口「おれんじドア」実行委員会代表

「認知症だから何もできない人」という思い込みは当事者から「奪う」だけ 支援者は、一緒に会話を楽しみ「NO」と言える空気づくりを!
若年性認知症当事者として講演活動や雑誌・Webなどにひっぱりだこの丹野智文さん。近著『認知症の私から見える社会』では、支援者の関わり方について一歩踏み込んだ見解を示している。
「認知症」と診断を受けたその日から、「何もできない人」として扱わないでほしい、当事者の声をもっと聞いてほしい!
ヘルパーの日ごろの支援にも大きく関わるこの言葉を、しっかりと受け止め、考えていきたい。

認知症と診断されたその日から急に何もさせてもらえない

――丹野さんは、認知症と診断された人たちが互いに話をし、交流する場を設けていらっしゃいます。この活動を通じて感じる、大きな課題は何ですか。

 認知症と診断されたとたんに、「何も決められない、理解できない人」として扱われ、落ち込む人が多いということです。考えてみてください。診断を受ける前の、昨日のその人と今日のその人では、まったく変わりがないわけでしょう?でも、認知症と診断がついた時点で、「何もわからない人」としてみなされ、急に何もさせてもらえません。
 僕は今までに400人くらいの当事者と話をしましたけれども、みんな同じことを言っています。「奪われた」と。たとえば、「なくしてしまうから財布は持たせられない」と財布を奪われる。ひとりで外出する機会も奪われる。運転免許も有無を言わさず返納と奪われる。
 財布なら、なくさないように、かばんにくくりつけておけばいい。道に迷ったら家族や知人に連絡するか、周囲の人に教えてもらうようにすればいい。今はスマートフォンで道案内もしてもらえます。また、免許もいきなり奪うのではなく、当事者同士で議論をすることを、僕は提案します。すでに返納した人の話をよく聞けば、自分も返納しようと思うものです。自分で決めて返納したなら、納得できて、あとあと問題を起こさないでしょう。
 工夫をすれば、解消する問題がほとんどなのです。
 認知症の当事者が、何も判断できない人だと思うことを、まずはやめてほしいと思います。
 支援者と呼ばれる人たちは、当事者には何も聞かずに、全部家族に聞いてしまう。僕の場合も同じようなことがよくあります。支援者がまず挨拶するのは、妻に対してで、名刺も妻にしか渡さない。認知症に関する冊子も妻に渡して、説明も妻にする。それっておかしいでしょう?

――たしかに、そうですね。支援者や家族は、当事者の方の尊厳を知らず知らずのうちに奪っているのですね。

 心配するのはよくわかります。優しさからやってくれていることもわかるのです。でも、認知症になると、心配してもらえるけれど、信用されなくなるんですよね。それが、当事者にとってはつらいのです。病気になって申し訳ないという思いがあるので、何も言えません。
 でも、あまりにひどい扱いをされると何か言いたくなりますよね。すると「あなたは認知症なのよ」って、病名で説き伏せられることがほとんどです。
 これでは納得できませんよね。だから、認知症になると怒りっぽくなる人が多いのではないでしょうか。周囲の対応に怒りを覚えているのかもしれないって気づいてほしいですね。
 そして、「認知症だから」と、支援者と家族とで勝手にデイサービスを決めてくる。自分で決めていないのだから「行きたくない」と言うと「拒否」と言われ、それで行ってみたらおもしろくない。「帰りたい」と言うと今度は「帰宅願望」とさらにレッテルを貼られる。それに対して怒ると暴言だと言われて「BPSDだ」と…。本当に悪循環です。
 そういう扱いを受けてうつになる人も多いですよ。僕は医者じゃないから何とも言えないけれど、「認知症が進行して意欲がない」のではなくて、「失望してあきらめ、うつ状態のようになっている」人もいっぱいいると思うのです。

ヘルパーは利用者と「会話」がはずむ相手であってほしい

――認知症の方に対して、周囲がそう思いこんでしまうのはなぜでしょう?

 昔は、そうとう進行してから診断を受けるケースが多かった。でも、今は軽度な段階で自分で気づいて、受診する人も多いんです。文字が書けなくなった、読めなくなったというぐらい悪くなってから診断を受ける人は、そうはいないのではないでしょうか。それなのに、周囲は「認知症」と聞くと、イコール何もできない、何もわからない、症状が重い人、と思ってしまう。そこにズレがあるのだと思います。

――支援者のひとりであるヘルパーは、どのように接したらよいですか?

 まず、奪わないでほしい。利用者が何かやろうとしているときに、「危ないから」と取り上げないで、自立の手助けをしてほしい。先回りをして護る、すぐ介護保険に繋げるのではなくて、できることに対して少し後押しをする、という考え方をしてほしいですね。
 海外では、本人が必要とする自立の手助けをすることが支援の基本となっています。GPSを利用するかどうかについても、家族や支援者と利用者が、よく話し合って決めています。
 それと、子ども扱いしないでほしいと思います。デイサービスなどに行くと、折り紙を折りましょうと促され、完成すると、「わー、すごい!」って手をたたかれる。折り紙なんて、あたりまえに折れるのに、まるで幼稚園児をほめるようにするでしょう。傷つきますよ、大人ですから。
 そもそも、僕は折り紙や塗り絵やドリルはしたくない。しないと「せっかく用意したのに」と言われますが、用意するときに、本人と相談していないですよね。「やらない自由」も認めてほしいですね。
 ヘルパーさんは一番身近な支援者だと思うから、本人の話をよく聞いてほしいと思いますね。何がやりたいのか、やりたくないのか。
 それと、「会話」をしてほしい。まるで情報収集をするように一問一答方式で、「何が好きですか?」「これやりますか?」と聞いてくるけれど、返事をするだけだと、そこで会話が止まってしまいます。
 「丹野さんはどこの出身ですか?」「仙台です」「そうですか」ではなくて、「私は東京なんですよ、○○区の生まれでね」とか、「へえ、仙台って何が名産ですか?」など会話がはずむと、気持ちも前に向いてきますし、親しみがわいて、心がオープンになります。そういう交流のあり方が、認知症当事者を元気にしてくれると、僕は思っています。

丹野 智文

認知症当事者のための物忘れ総合相談窓口「おれんじドア」実行委員会代表

1974年、宮城県生まれ。東北学院大学卒業後、ネッツトヨタ仙台入社。トップセールスマンとして活躍中の2013年、若年性アルツハイマー型認知症と診断される。診断後は営業職から事務職に異動し勤務を続け、現在は認知症への社会的理解を広める活動が仕事になっている。2015年より認知症当事者のための物忘れ総合相談窓口「おれんじドア」を開設、実行委員会代表。近著に『認知症の私から見える社会』(講談社+α新書)がある。

 

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