へるぱ!

季刊へるぱ!インタビュー

熊谷 晋一郎(くまがや しんいちろう)

東京大学先端科学技術研究センター准教授/医師

「自立」とは依存先を増やすこと。
コロナの厳しい状況下で答えの出ない問題に真摯に取り組み
当事者研究に可能性と希望を託す
「自立」とは一体何か。人と人が分断される厳しい状況のコロナ禍において、訪問介護の現場で従来続けてきた利用者への自立支援がままならず、悩むヘルパーも多い。
多くの困難が伴うなかで支援を続ける現在、ヘルパーが悩みや困りごとを解決する糸口はあるのか。
熊谷さんが取り組んでいる当事者研究の視点から話を伺った。

しばしば見落とされがちな介護を行う側の多様性

――コロナ禍でインクルーシブなケアを行うにはどうしたらよいでしょう。

 コロナの中でのケアについて、利用者側の多様性はある程度認識されており、国のガイドラインなどにそれぞれに向けた対策が示されていますが、実は見落とされがちなのが、介護を行う側の方の多様性です。介助者のなかには病弱な方、病気や障害をもちながらケアワークを行っている方、また小さいお子さんや高齢者が家庭内にいたり、病院勤務で空いた時間に介護の仕事を行っている方もいらっしゃいます。身体のコンディションや社会的な状況など、それぞれもっている背景が違うなか、不安を払拭し安心してケアワークを続けられるような情報が介助者には不足しています。
 「不安だ」という気持ちを抱えながらもケアの仕事に入っていらっしゃる方に対して、「プロフェッショナルだから、そんなことを言っちゃいけない」みたいな空気もあります。そうではなくて、「しんどい」とか「不安だ」とかいった心配ごとを、オープンにしても責められない文化が今大切です。心配なことをどんどん喋ったほうが安心して仕事ができますし、状況に応じた必要な対策がかえって進むのではないかと思っています。
 現場に入るヘルパーの方も、気持ちや不安を押し殺さず声にして上げることが大事で、それこそがニューノーマル。自分の困りごとをオープンにする。他人が弱音を吐いたときに、「私だって頑張っているのだから」と封じる方向に気持ちが高ぶるのではなく、共感できる空気が醸成されることが大切です。

自立は依存先を広げることから始まるが、コロナ禍でどうやってそれを実現するか

――熊谷先生は「自立とは依存先を増やすこと」とおっしゃっています。介護保険制度の中でも、重要な「自立」の概念ですが、昨今の困難な状況下で、どのようにアプローチしていけばよいとお考えでしょうか。

 この言葉が思い浮かんだ直接のきっかけは東日本大震災のときのことです。私は建物の5階にある職場にいたので急いで避難をしようと、エレベーターに移動しましたが、止まっていて使えません。「逃げ遅れる!」と頭が真っ白になっていたところに、幸い同僚が通りかかり、困っている私を階段で運んでくれました。
 そのとき同じ建物の中にいた人は、だれもが皆、「いち早く逃げなくては」と同じ目的を共有しました。多くの人はすぐに避難できましたが、私だけは、エレベーターしか使えなかったため、逃げるのが遅れた。健常な方たちには階段など避難のための他の手段が選択できましたが、私には選択肢は一つでした。この経験から依存先の数と依存度の深さは反比例するものだと気づいたのです。
 私は、アルコール依存や薬物依存の当事者から、障害者と依存症の方の置かれている状況が実は構造的に似ていることを教わりました。依存症の方の多くは幼児期に虐待やいじめといった深刻な暴力に遭った被害者です。人間不信に陥っているので、身近にいる人に依存できません。その結果、「物」や「垂直的な人間関係」、「自分自身」に依存する。つまり限られた依存先しか見つけられない、水平的(対等)な人間関係がうまく結べない人たちです。多くのものに依存しすぎるのが依存症であると誤解されがちですが、実は依存先が少ないという問題が引き起こす病気なのです。
 同じことが、依存先の少ない障害者にも言えます。本来自立とは、「支配されない」、しかも「選択できる」状態を言いますが、両親やケアワーカーの人たちが自分たちだけに依存するよう支援を行い、相手を支配する状況が生まれやすい。それは依存度が深くて自立できていない共依存の状態です。依存先を増やすお手伝いをすることが、真の自立支援なのですが、逆の方向性に向かいがちです。
 そこにコロナがやってきたわけです。私自身について言えば、18歳から今まで、依存先を増やすために、不特定多数の方が介助に入ってくださるようにアレンジし続けてきました。ところがもし、私が感染した場合、多くの人に感染を広めてしまうことになる。ウイルスで言えば、実行再生産数が高いことになります。多くの人に依存先を分散しておく必要があるのにも関わらず、依存先をあえて増やさないことが、感染症対策としては合理的である。その矛盾とジレンマに悩む日々です。
 先日、小山内美智子さんとお話しした際に印象的だったのは、「43年間障害者運動をやってきて、今回のコロナ禍での活動が最も厳しい」という言葉でした。自立生活運動を展開されてきた、経験豊富な小山内さんが洩らした言葉の重みに、私自身もあらためて「本当にそうだな」と感じました。それでもなお、私たちは依存先をなるべく多く保ち自立を守るために、感染症対策をしっかり行いながら、依存先を広げることを諦めない。それに尽きるのです。さもなければ、精神的に追い詰められて私たちは社会的に死んでしまう。もしかしたらウイルスによって死んでしまうかもしれませんが、あえて矛盾することをしようとしているわけです。これは「どちらで死ぬのか」という切実な問題です。高齢者の介護においても同様ですね。
 私がずっと続けている当事者研究は、こういっただれも答えを知らない困りごとに対するアプローチが主体となっています。困りごとをもつ自分が主役になり、仲間に協力してもらいながら、世界を前向きに捉えていく方法。今、私の研究室では、さまざまな困りごとを抱えたメンバーが自分の困りごとをテーマに研究を進めています。自閉症の診断を受けた方が新しい自閉症理論を考えたり、刑務所を何度か経験した方が刑務所の新しいデザインを考えたり、がんのサバイバーの方は医療が抱えている問題に取り組んだり、ヘルパーさんの当事者研究も現在行われています。当事者研究では困りごとをもっている本人が一番のエキスパートであるという考え方です。
 まさに現在のコロナの状況下にフィットする、アプローチであると感じています。

熊谷 晋一郎

東京大学先端科学技術研究センター准教授/医師

脳性まひによる身体障害があるため、電動車いすを使って生活をしている。東京大学卒業後、小児科医として10年ほど臨床経験を積んだ後、「当事者研究」に興味を持ち取り組む。現在は東京大学先端科学技術研究センターにおいて、障害のある人・病気を抱える人、困りごとを抱える人たちとともに研究を行っている。著書は『リハビリの夜』『当事者研究―等身大の<わたし>の発見と回復』はじめ多数。

 

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