へるぱ!

季刊へるぱ!インタビュー

岸田 ひろ実 (きしだ ひろみ)

株式会社ミライロ講師/
一般社団法人日本ユニパーサルマナー協会理事

困っている人に声をかける「ハートの支援」が整えば日本はもっといい国になる 駅で困っているお年寄りや、障害のある方に声をかけられる日本人はどのくらいいるだろう。相手の目線に立って行動できる人が一人でも多く増えたら、もっと過ごしやすくなるはずだ。
障害を価値に変えていく「バリアバリュー」を理念に、高齢者、障害者に喜ばれるサービスとは何かを提案してきた株式会社ミライロ。同社が提供する「ユニバーサルマナー検定」が「障害のある人への正しいおもてなしを学びたい」という多くの企業で取り入れられ、注目を集めている。 検定の講師を務め、車いす歴11年の岸田ひろ実さんに、車いすユーザーから見える世界や、これまでの活動の内容、半生について語っていただいた。

「障害者でもできる」から「障害があるからこそできる」に

――株式会社ミライロの理念「バリアバリュー」とは何でしょうか?

 「バリアフリー」に似ていますが、障害をゼロにするだけでなく、「価値」にしていこうと、弊社代表の垣内俊哉が考えた言葉です。
 私は11年前、大動脈解離を発病し奇跡的に生還しましたが、手術の後遺症で歩けなくなりました。当初は「この先、生きていても良いことなんてない」と落ち込みましたが、長女が創業メンバーの一人でもあるミライロの垣内代表と出会って、「歩けないからこそ、できることがあるのでは?」と考えるようになりました。
 私には娘と息子がいます。23歳の長男はダウン症で重度の知的障害があります。つまり私は、障害のある子どもの母である視点、障害当事者としての視点、そして車いすユーザーとなる前の健常者の視点を持っているわけです。その視点を持つ私が発信することで、たくさんの人を元気づけられるのではないかと。今はこの経験を生かして、ユニバーサルマナー検定の講師として活動し、講演など、全国各地を回らせてもらっています。

――「ユニバーサルマナー検定」では何を学ぶのでしょうか?

 障害のある方や、多様な困難を抱える方々への理解を深め、受講者の「意識」を変えることで、相手の気持ちに寄り添った声かけ、コミュニケーションの方法を学びます。車いすユーザーや高齢者の疑似体験を通し、当事者の持つ課題を感じていただきます。講師は、障害のある当事者が務め、車いすに座った110㎝の視点から日ごろの生活で感じていること、適切なサポートについてお伝えします。
 エレベーターの設置など、ハード面の整備を行うには時間もお金も必要ですが、周囲の人がほんの少し手を貸してくれれば、解決できることもあります。一人ひとりの「ハート」を整えることが大切です。

――困っている人を見かけても、声をかけられる人は少ないかもしれません。

 控えめなのが日本人の美徳ではありますが、もっと気軽に「助けてください」「いいですよ」と声をかけ合えるようになれば、と思います。逆に「助けなきゃ」という善意から、サポートが過剰になってしまう人もいます。いちばんいいのは、シンプルに「何かお手伝いできることはありますか?」と、まず聞くこと。そうすれば、声をかけられた人も、「ここの段差を越えるのを手伝ってもらえますか?」と、そのとき必要なサポートを伝えやすいです。

――実際に車いすユーザーから世の中を見て、不便なことは何ですか?

 例えば、ちょっとした段差や、車いすが通れない狭い通路。あとは、車いすに乗っていると見えにくい、駅の案内標識の数々。どんな人でも使いやすいように設計されたはずの多目的トイレも、車いすからでは鏡に自分の顔は映りません。せっかく障害者のために作られた設備でも、歩ける人の目線に合わせて作られていて、惜しいな…… と感じることがあります。
 ユニバーサルマナー検定も最近ではうれしいことに製造業の方からの申し込みが増えています。モノづくりの方々が障害者や高齢者の視点に立って製品を作れば、もっと暮らしやすくなるでしょう。

「死んでもいいよ」のひと言が生きる力に

――現在はアクティブにご活躍されていますが、つらい出来事をどのように乗り越えられたのでしょうか。

 もともと楽観的な性格なので、子どもの障害がわかったときや、夫を病気で亡くしたときも「子どもたちを守らなくちゃ」と、乗り越えてきました。どうにもならなかったのが、自分のことです。歩けなくなったことをまったく受け入れられず、当初は本当に毎日死ぬことを考えていました。
 ついに、長女に思わず「死にたい」とこぼしてしまったのです。そうしたら、「死にたいなら死んでもいいよ」と驚きの言葉が返ってきました。いちばん近くで見ていたから、私のつらさを理解し、受け入れてくれたのでしょう。そして、「歩けても歩けなくても、ママはずっと自分を支えてくれてるよ」と。その言葉に救われました。
 当時の私にとっては、「頑張れ」という励ましよりも、一緒に泣いたり、喜んだり、そのときの感情に寄り添ってくれる存在がありがたかった。ある日、作業療法士さんが「岸田さん、手だけで運転できるの知ってる?」と声をかけてくれました。私が運転好きなのを知っていたのでしょう。苦痛だったリハビリが、車を運転するという目標ができたことで、楽しくなりました。その提案で、どんどん気持ちが前向きに変わっていったと思います。

――岸田さんのように、ポジティブになれる秘訣をぜひ教えてください。

 まず、小さな目標を立てて、それを実現していくことですね。手術後、私の最初の目標は、車いすに乗って、病院の売店まで大好きな「みかんゼリー」を買いに行くことでした。そのあと、車の運転をすることや、海外旅行に行くこと、憧れのマツコ・デラックスさんに会うことを大きな目標としていました。すべて叶っています。
 今の目標は、困難を抱える子どもたちの学ぶ環境をよくすること。息子の時代も課題がありましたが、現在でも障害児を取り巻く環境は変わっていない。障害者への心のバリアを取り払うには、教育が大事だと思います。
 障害者は、「自分はここにいる!」と社会に出て行くことが大切。オリンピック・パラリンピックの影響もあって、東京では声をかけてくれる人が増えたと感じます。大きな夢ですが、教育を変えて、社会を変えていきたい。それが今の私のモチベーションです。

岸田 ひろ実

株式会社ミライロ講師/
一般社団法人日本ユニパーサルマナー協会理事

1968年大阪市生まれ。 知的障害のある長男の出産、 夫の突然死を経験した後、 2008年に自身も大動脈解離で倒れる。 成功率20%以下の手術を乗り越え、 一命を取り留めるが、 後遺症により下半身麻痺となる。 約2年に及ぶリハビリ生活中、 長女のひと言がきっかけで歩けない自分にできることを考えはじめ、 病床で心理学を学ぷ。 2011年に娘が創業メンパーを務める株式会社ミラ イロに入社。自分の視点や経験をヒントに、 「ユニパーサルマナー 検定」の講師を務め、年問180回以上の講演を実施。数々のメディアに取り上げられる。 現在は、 文部科学省中央教育審譲会初等中等教育分科会の臨時委員も務め、 教育現場での障害児との関わり方を提案する活動も行う。

 

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