へるぱ!

障害者だからこそ出来ること

第50回 愛と光と命

ラジオの番組で、ある母親が何らかの原因で3年間、閉じこもり状態だった娘について語っていました。同じ症状の話を以前にも耳にしたことはあったものの、当時は他人事として聞き流していたそうです。でも今、我が子が同じ症状になり、親として心配で心配で心のやり場がない毎日であると言います。このままでは世間での人付き合いもままならず、他人との会話もろくにできない大人になるのでは?と心配しているそうなのですが、そんな娘さんがある日、母親の心労を知ってか「スーパーのレジで勤めたい」と切り出したそうです。お客との直接会話も少ないから何とかなるだろうと。ところが勤めて1ヶ月、客との接点が予想以上に多く、心身ともに疲れ果てた娘が、いつ辞めようかときっかけを探しているように見えたのだそう。そこで母親は、娘の様子を見に勤め先のスーパーへ買い物に出かけ、娘のレジへ。ところが肝心の娘はレジ打ちに集中するあまり、母親の顔を見る余裕すらなく、レジ打ちが終わるまで母親に気付かなかったそうです。初めて顔を見上げて驚く娘の様子に、母親の心配はより深まったそうです。

それから数日後、娘さんに恐れていたことが起きました。リンゴ2個のお買い上げを間違って3個と打ち込み、お客から指摘されたのです。そのお客は上品な初老の方で、娘さんは2、3度と繰り返し頭を下げ、なかば半泣き状態で謝罪をしたそうです。すると、お客は「私は何時もあなたを見ていました。あなたの仕事ぶりが好きだからです。レジの打ち方は遅いですが、親切で丁寧に応対をして下さるあなたが大好きで、いつもあなたの列に並んでおりました。今回のことで責任を感じることはありません。まして職場を辞めるなんて考えはおこさないで下さい…。これからも期待しておりますョ。」と笑顔で言葉をかけてくれたそうです。その日を境に娘さんにも変化が…。少しずつ人との接触を恐れなくなり、今では働くことに喜びを感じることが出来るようになりつつあると。「自分は一人ではないし、必ず誰かが見守ってくれていることを知ったようで、このまま良い状態が変わらないことを祈っています。」と喜びを噛み締める母親の話しでした。

この放送を聞いた日、実は私も同じようなことを偶然体験したのです。横断歩道での信号待ちで「歩行者用押ボタン」を数分探していると、1人の中年婦人が私の隣に立ちましたので、この方が渡るときが「青」であると判断することにしました。信号が変わると、私の白い杖を見て「青ですョ」と教えていただけるのではないか…!と期待したものの、期待は外れ、婦人はスタスタと歩き始めました。「冷たい女性」だとは思いましたが、依頼心を抱いてしまった自分に「自立、自立」と反省をしながら、私も歩きはじめました。しかし調度、横断歩道半分ぐらいの時に、前から歩いてきた青年らしき声の主に「大丈夫ですか?」と声をかけていただきました。私の手を引いて、青年の歩いてきた方向に逆戻りして誘導介助してくれたのです。渡りきった時点で信号は「赤」に変わってしまい、青年はもう一度信号待ちとなりました。御礼を告げると「歩行者用押ボタンを探している姿が見えたので、心配しておりました」と話してくれたのです。

視覚障害者になってからは、なんとなく世間から阻害されている人間だと思いがちでしたが、ラジオの放送や私の実体験を通して、必ず誰かが見てくれていて「言葉には命があり、光であり、愛でもある」と実感したのです。介護に携わる皆様に参考になれば幸いです。

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コラムニスト紹介

山田 猛

ガイドヘルパー(視覚障害者)

プロフィール

1941年 中国・元満州国安東省生まれの引揚者。

1969年 立正大学経済学部を卒業後、運輸会社へ入社。航空貨物部門で海外宅配便と新規事業開発で書類宅配便クーリエサービス業務の立上げの責任者となる。のち、ISO品質管理室長として全国支店を飛び回り指導に励む。また会社品質向上を担当。

2000年9月 定年半年前に角膜移植手術を受けるが、移植に失敗。強度の視力障害を持つ中途失明者となる。
定年後、第二の人生設計を立てていたところに抱えた大きな障害。生きる希望をも見出せず失望の淵に立たされた時期を乗り越え、現在、同じ境遇の人たちを救うため介護福祉について勉強中。

介護を受ける立場にかかわり、介護をされる皆様に何を求め、また考えているかを視覚障害の症状、環境変化がありすべての方の問題とか解決策とはなりませんことをご理解頂き、あくまでも私個人として利用者が感じた点を記述してみたいと思います。

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