障害者だからこそ出来ること
第49回 紙ヒコーキ
孫と遊んでいると教えられることが多くあります。保育園を卒園して小学校に入学した後も、職業ママを持つ孫は、学校が終ると学童保育へ。ママの勤務によって、土・日は時々我が家で預かることもあります。学童保育では、学校学習の他にボランティアの人達のご協力で、折り紙、あやとり、縄跳び、将棋、粘土工作など昔の子供遊びを教えてくれる時間があり、それが一番面白いのだと孫は話してくれます。伸び盛りである子供の学習能力が高いことに反して、日々衰えるばかりの老人とでは、どの遊びも既に相手になりません。社内将棋大会でならした腕も、さすたびに負けるし、栄光の「歩け歩け大会」からなる健脚自慢も、綾跳びやスピードある二重跳びまでも完全マスターされ、飛ぶ回数も太刀打ちできません。子供の上達ぶりに驚きもありますが、反面頼もしくもなる気分は不思議です。
先日、孫から紙ヒコーキの折り方を教えてもらい、早速我が家で飛ばして遊んでいました。孫が帰宅後、掃除をしていたら、テレビの裏からノートで折った紙ヒコーキが出てきました。それを取り上げ見てみると、いつも可愛がってくれる岐阜に嫁いだ長女○○ちゃん(伯母?)宛てに、最近大病して入院したお見舞いのお手紙が書かれていました。「早く元気を取り戻し、今年も運動会には遊びに来て欲しい。身体の調子があまり良くないとママから聞きましたが、もう少しお家が近いと……。」などと、介護やお話したいことなど、相手を思いやる気持ちに溢れた言葉で綴られていました。翼には、宛名のほかに「○○ちゃんでない人がこのヒコーキを見つけたら、もう一度空に向けて飛ばして下さい。おねがいいたします」とメッセージが。汚れない孫の優しいお見舞いの言葉に涙した家内は、岐阜の空に向けて郵送しました。春休みを利用して岐阜に自分の紙ヒコーキが届いていたことを知らされた孫は、「信じられない!」と驚き、「本当にお願いをすると届くのだ」とママに話したそうです。それを聞いて、夢を持たない爺ちゃんは一つ教えられたのです。毎日訪れるヘルパーさんから日常生活について指導される事がたくさんありますが、自分の好きなことしか受け入れていない非協力者で、いつ頃から素直な性格を失ったのかと反省させられます。可愛い爺ちゃんになることはなかなか難しいものです。
孫もこれから先、歳を重ねるたびに、しばしば横道に入り込むようなこともあるでしょうが、「紙ヒコーキのお手紙」の出来事を思い出し、心の支えとして欲しいし、嫁ぐ暁には、結婚式で紙ヒコーキを披露して、「あなたは最後まで優しく介護できる伴侶を見つけた人ですヨ」とお相手に喜びの言葉を贈るつもりです。「その日まで手紙は大切に保管しておきます」と岐阜から便りが届きました。人生「終り良ければすべて良し」とか「老いては子に従え」といった諺がありますので、初心に返り、ヘルパーさんと「教えたり、教えられたりの会話が楽しくできる爺ちゃんになりなさい」とまたも一つ教えられました。
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山田 猛
ガイドヘルパー(視覚障害者)
プロフィール
1941年 中国・元満州国安東省生まれの引揚者。
1969年 立正大学経済学部を卒業後、運輸会社へ入社。航空貨物部門で海外宅配便と新規事業開発で書類宅配便クーリエサービス業務の立上げの責任者となる。のち、ISO品質管理室長として全国支店を飛び回り指導に励む。また会社品質向上を担当。
2000年9月 定年半年前に角膜移植手術を受けるが、移植に失敗。強度の視力障害を持つ中途失明者となる。
定年後、第二の人生設計を立てていたところに抱えた大きな障害。生きる希望をも見出せず失望の淵に立たされた時期を乗り越え、現在、同じ境遇の人たちを救うため介護福祉について勉強中。
介護を受ける立場にかかわり、介護をされる皆様に何を求め、また考えているかを視覚障害の症状、環境変化がありすべての方の問題とか解決策とはなりませんことをご理解頂き、あくまでも私個人として利用者が感じた点を記述してみたいと思います。