へるぱ!

障害者だからこそ出来ること

第47回 再会の力

昨年の暮れ、朝食が済みお茶を飲んでいると、突然電話が鳴りました。
第一声「私、ロングといいますが、覚えていますか!」と男性の声。誰なのか皆目見当もつかないでいる私に、「ロングはニックネームで旧姓○○ですが、覚えはありませんか!」。私はそれを聞いて「あ~っ」と、その人を思い出したのでした。彼は、新入社員時代に5年間、同じ職場で仕事をしていた仲間でした。家庭の事情で中途退職し帰省したのです。パソコンの故障で住所録を失ってからは便りも出せず、声を聞くのはなんと40年ぶり。誰だか分かると何故か急に聞き覚えのある声となり、故郷鈍りのアクセントに懐かしささえ覚えます。用件を聞けば、なんでも仕事で上京しているので、ぜひ会いたいとのこと!

さっそく、午後1時にJR秋葉原駅前で待ち合わせることにしました。ロングさんというニックネームは、たしか身長190センチと長身のため付いたもので、彼を見れば一目でわかるはずと思っていたものの、お互いに歳を重ねているので、念のため、私の目が不自由で白い杖を使っていることも伝えておきました。するとやはり、改札口を出た途端に肩を叩かれ、無事スムーズに再会する事が出来て正解でした。

昼食をとりながらの思い出話では、花が咲き終わることもなく、再会の喜びをかみしめた時間を過ごすことができました。残業で苦しかった話しより、箱根の山のウォーキング、熱海社内旅行、お客様との親善野球やボーリング、冬のアイススケート、秋の運動会といった楽しい話題で盛り上がり、忘れていたあの頃…懐かしくも溌剌とした過去の日々を思い出しながら、時間が経つのも忘れて話し込みました。それは、持ち切れない程の元気を頂いた再会でもありました。

彼は私より年下ですが、当時から相手思いの優しい青年で、帰省後は地元で定年を迎え、現在は保育園経営をしており、50人の子供達の園長先生でもあるそうです。今回は、この度の新規事業計画である老人ホーム開設のため、申請手続きの勉強に上京したとのこと。忘れかけていた人からたくさんの元気を貰い、次回がいつになるか分からないけれど再会を約束して、惜しみながらの別れとなりました。

今年、彼への久しぶりの年賀状には、先日の再会時に目が不自由で落ち込んでいた自分を励ましてくれたことや元気時代の私を数々語って頂いたことに対するお礼について書き綴りました。彼から頂いた年賀状には、改札口から出て来る私の姿が当時とは大違いで元気がないことに驚いたこと、さらに自分本意の話題を押し付けてしまったことへの詫び内容となっていました。思いもよらない再会を喜び、感謝する年賀状に対して、彼から受け取ったのは詫びる年賀状。お互い気の合った仲間なのだと確認できた久々の年賀状交換となりました。

これまで自分の不幸に対しては、出来るだけ楽しい思い出を胸に前向きに考えることで自分を元気付けてきましたが、今回は自分の中だけに留めておくことなく同じ思い出を共有できる友人がいることに力みなぎり、喜びを感じることができました。この先不幸にして、自分に自信が持てない事態に陥っても、やりたいことがすべて出来た人生時に、思いっきり活動したことで、喜びの思い出は多く蓄積されているのだということ、また、寂しい時に元気を取り戻せる力として、時間を共有できる友を持つことの大切さを忘れてはいけないのだということを強く思い知らされました。

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コラムニスト紹介

山田 猛

ガイドヘルパー(視覚障害者)

プロフィール

1941年 中国・元満州国安東省生まれの引揚者。

1969年 立正大学経済学部を卒業後、運輸会社へ入社。航空貨物部門で海外宅配便と新規事業開発で書類宅配便クーリエサービス業務の立上げの責任者となる。のち、ISO品質管理室長として全国支店を飛び回り指導に励む。また会社品質向上を担当。

2000年9月 定年半年前に角膜移植手術を受けるが、移植に失敗。強度の視力障害を持つ中途失明者となる。
定年後、第二の人生設計を立てていたところに抱えた大きな障害。生きる希望をも見出せず失望の淵に立たされた時期を乗り越え、現在、同じ境遇の人たちを救うため介護福祉について勉強中。

介護を受ける立場にかかわり、介護をされる皆様に何を求め、また考えているかを視覚障害の症状、環境変化がありすべての方の問題とか解決策とはなりませんことをご理解頂き、あくまでも私個人として利用者が感じた点を記述してみたいと思います。

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