へるぱ!

今なら語れる「障害を越えて」

第1回 現状を知る

私が中途視覚障害のショックから思ったより早く立ち直れたのは、置かれた現状を理解したからだと思います。主治医からは“現状、回復させることは出来ない”と言い渡され、“何とか少しでも見える可能性は!?”と何度も問い掛けましたが、結局返された答えは“無理でしょう”でした。

定年半年前に光を失うことの衝撃は予想以上で、その先考えていた人生設計は、大幅に狂ってしまったのです。そして、あれもこれもと考えていた定年後の計画は、どれ一つ実行できなくなり、生きていても何だか虚しいと考えるようになりました。勤めていた会社の同僚から幾度となくお誘いを受けるも、人と会う接点すら避けてしまい、この歳で遂に閉じこもり状態に陥りました。

自分の部屋で何を考えるでもなく、ただ時間だけが過ぎていく毎日を2年近く送っていましたが、脱却のきっかけは、妻が高齢者の介護に携わる仕事をしていたことでした。高齢化社会の到来と同時に、介護保険制度が施行され、人間平等に歳は重ねるし、人生一度は何らかの障害を持つ時代になることを知りました。老人ホームでも高齢での視覚障害、また若くして糖尿病を患い、その合併症などで眼に障害を持つ人が多く、介護が大変であると妻から聞かされました。その時、今までの考えが一変。いつまでも不満を持って生きるより、置かれた現状を理解し、障害と付き合うのも人生なのだと。

人生一度は障害を持つことで落ち込むのだとしたら、自分は少し早めに体験しているだけなのだと考えるようになりました。であれば、同じ症状を持つ人の手助けをしているガイドヘルパーの養成講座に参加している受講生の方々に自分の体験を語り部として伝え、自分と同じような人を救う仕事がしたいと、残された人生の方向転換をしました。人生は常に過去があって未来を予測し、自分なりに納まりをつけて生きていますが、過去があり、現状も加わった上で未来があるのではないか、そう思うことにしたのです。

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コラムニスト紹介

山田 猛

ガイドヘルパー(視覚障害者)

プロフィール

1941年 中国・元満州国安東省生まれの引揚者。

1969年 立正大学経済学部を卒業後、運輸会社へ入社。航空貨物部門で海外宅配便と新規事業開発で書類宅配便クーリエサービス業務の立上げの責任者となる。のち、ISO品質管理室長として全国支店を飛び回り指導に励む。また会社品質向上を担当。

2000年9月 定年半年前に角膜移植手術を受けるが、移植に失敗。強度の視力障害を持つ中途失明者となる。
定年後、第二の人生設計を立てていたところに抱えた大きな障害。生きる希望をも見出せず失望の淵に立たされた時期を乗り越え、現在、同じ境遇の人たちを救うため介護福祉について勉強中。

介護を受ける立場にかかわり、介護をされる皆様に何を求め、また考えているかを視覚障害の症状、環境変化がありすべての方の問題とか解決策とはなりませんことをご理解頂き、あくまでも私個人として利用者が感じた点を記述してみたいと思います。

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