へるぱ!

今なら語れる「障害を越えて」

第24回 中途視覚障害者としての体験談 (1)

 私が視覚障害者になって19年になります。これまでのコラムにも記載しましたが「まさか定年半年前に」と人生の後半で訪れた予想しえなかった不幸であり、あの時の悲しみとショックを思い出すと今でも涙が出ます。私が体験した苦しみがこれからの高齢化社会において、読者の皆様にも突然降りかかるかもしれません。今から日常どのような注意を払って生活を送るべきか、私が体験して知り得たことを何回かに分けて記載したいと思います。

 これまで60年間見えていた世の中全体が見えなくなるということは、健常時想像もしていませんでした。加齢で遠近老眼鏡メガネを利用することはあっても「見えていたものが見えない」この恐怖は体験しないと分かりません。

 中途失明には、突然視覚を失う場合と糖尿病生活等で徐々に視覚が薄れていく場合の2通りがあります。徐々に視覚を失い、見えづらくなることに慣れていくのはとても危険です。気付いた時には「時すでに遅し」、手遅れということにもなりかねません。本来であれば、片目が見えなくなっているのであれば、残された片目に負担をかけないよう生活を送るべきです。でも人間、不便はあっても片目が見えていると、ついつい眼科受診をさぼり、片目に負担をかけた生活をしてしまうのです。そうすると結果、両目を失ってしまうことになるのです。

 2つある体の一部、眼、耳、鼻、まして腕、足…失った衝撃は計り知れず、また失えば二度と取り戻すことはできません。油断せず、体の一部に異変を感じたら、すぐに専門医院を尋ねてください。これは私自身が身をもって経験から得た教訓であり、今回のコラム(1)で伝えたいことです。

 不幸にして、視覚を失ったらいつまでも悲しんではいられません。自立するための努力が必要です。まず手が届く身の回りの範囲、四方八方に触れて、見えない恐怖と戦う日々が始まります。手に触れて確認したらそれを記憶する。そうした記憶の積み重ねが大切になっていきます。時間はかかりますが、この努力を怠ると、完全に視野が失われたことを自分に突き付けられ、また自分が負けた気分にもなるので、私は精一杯頑張ってきました。失った物は元に戻せません。健康は失ってこそ、どれほど素晴らしく有難いものかを思い知るのです。そのためにも今回のコラム(1)を含め、以降に続くコラムを噛み締めてお読みください。

一覧へ戻る

コラムニスト紹介

山田 猛

ガイドヘルパー(視覚障害者)

プロフィール

1941年 中国・元満州国安東省生まれの引揚者。

1969年 立正大学経済学部を卒業後、運輸会社へ入社。航空貨物部門で海外宅配便と新規事業開発で書類宅配便クーリエサービス業務の立上げの責任者となる。のち、ISO品質管理室長として全国支店を飛び回り指導に励む。また会社品質向上を担当。

2000年9月 定年半年前に角膜移植手術を受けるが、移植に失敗。強度の視力障害を持つ中途失明者となる。
定年後、第二の人生設計を立てていたところに抱えた大きな障害。生きる希望をも見出せず失望の淵に立たされた時期を乗り越え、現在、同じ境遇の人たちを救うため介護福祉について勉強中。

介護を受ける立場にかかわり、介護をされる皆様に何を求め、また考えているかを視覚障害の症状、環境変化がありすべての方の問題とか解決策とはなりませんことをご理解頂き、あくまでも私個人として利用者が感じた点を記述してみたいと思います。

トップページへ