へるぱ!

今なら語れる「障害を越えて」

第6回 ラジオと便りと友達と

 昭和のラジオパーソナリティーである、永六輔さんと大橋巨泉さんが亡くなりました。両氏ともラジオやテレビというメディアを存分に活用し、現在における娯楽番組のスタイルを作り上げた功績者といっても過言ではありません。

 特に私は永六輔さんのラジオ番組に思い出が多くあります。それは定年後に視覚障害者となり、ラジオを聴くことが生活の一部となったためです。民放の永さん番組にはリスナーからの「コラムコーナー」があり、私が投稿したコラムが7回も採用され、一時は投稿マニアにもなりました。

 視覚障害になると、耳からの情報が一番になります。政治・経済・娯楽・日常といったあらゆる話題を一日中ラジオに頼っています。目に障害がなかった時は、普通人として新聞・週刊誌を買い求め読んでいましたが、意外にも記憶に残っている記事は少ないです。その理由は、落ち着いたらいつでも読み返せると思い、自分の興味のある記事しか読まなかったためでしょう。さらに言えば、後から読み返すこともほぼしていませんでした。

 ラジオは自分には必要のない情報もありますが、限られた時間内に要点だけを聞き取ることができ、とても便利です。私の聴いている番組にリスナーからの「お便りコーナー」があります。お便りの常連さんは、自分の日常の暮らしぶりを知らせてくれます。最近気付いたことですが、その中に私と同郷の方がいました。お便りの内容は、故郷の祭りの様子やご本人の健康管理、家庭の出来事などなど。聴くたびに遠く離れた故郷が偲ばれてとても楽しませていただいています。

 番組で採用されたお便りで、山国の同郷人が「なぜ海に詳しいのか」と疑問に思ったことがありました。ですがそれはある日のお便りで理由が判明。現役時代に南極越冬隊の船乗りで活躍されていたからだと知ることができたからです。その時はなんだか嬉しくもなりました。ラジオネームだけで名前も顔も知らない方ですが、お便りで元気をいただいている自分がおり、しばらくの間お便りがないと、何となくご当人の安否が気にかかるから不思議です。

 永六輔さんは、番組で投稿された原稿を読むだけでなく、現地に出かけて自分の目で見て確認した感想を述べる放送スタイルを最後までやり通した方です。お便りを通して、『日本にはこんなに素晴らしい方々が暮らしている』と知る度に、夢はふくらみます。
 ラジオが特有の創造性を与えてくれることは間違いありません。是非一度お聴きください。

 永六輔さん作詞「遠くへ行きたい」のメロディーが聞えるようです♪♪、、、

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コラムニスト紹介

山田 猛

ガイドヘルパー(視覚障害者)

プロフィール

1941年 中国・元満州国安東省生まれの引揚者。

1969年 立正大学経済学部を卒業後、運輸会社へ入社。航空貨物部門で海外宅配便と新規事業開発で書類宅配便クーリエサービス業務の立上げの責任者となる。のち、ISO品質管理室長として全国支店を飛び回り指導に励む。また会社品質向上を担当。

2000年9月 定年半年前に角膜移植手術を受けるが、移植に失敗。強度の視力障害を持つ中途失明者となる。
定年後、第二の人生設計を立てていたところに抱えた大きな障害。生きる希望をも見出せず失望の淵に立たされた時期を乗り越え、現在、同じ境遇の人たちを救うため介護福祉について勉強中。

介護を受ける立場にかかわり、介護をされる皆様に何を求め、また考えているかを視覚障害の症状、環境変化がありすべての方の問題とか解決策とはなりませんことをご理解頂き、あくまでも私個人として利用者が感じた点を記述してみたいと思います。

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