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介護を受けるプロ

第48回 脳性まひの二次障害と老化現象2022/10/25

 どんな障がいでも、歳を取っていくと重くなり、歩けなくなったり、手が動かなくなったり、身体全体の関節が硬くなってくる。30年ぐらい前までは、脳性まひ者の寿命は35歳ぐらいだと言われていた。私より上の世代の脳性まひ当事者たちは、その噂どおり、40前後でいつの間にか消えていなくなった。私も「自分は35で死ぬ」と信じ切っていた。短命であるなら、叶えられることはなんでも叶えてやろうと、母は無理をして20歳の私をハワイに連れて行ってくれた。

 そのころの私は、ハワイ旅行よりも、自分で稼げる仕事を見つけることに興味があった。生きる気満々で22歳で札幌いちご会という運動組織を立ち上げ、世界中の障がい者がどう暮らしているのかを勉強するためにあちこち回って歩いた。世界会議と称して、二度目のハワイ行きも決行した。人生最後だと旅行をプレゼントしてくれた母には「裏切ったわね」と笑われたが、「あなたを置いて死ねない」と言っていた彼女も、ヘルパー制度ができてからは、カラオケや人づき合いなど自由に遊びに行けるようになったのだ。

 幼いころ、両親によって始まったリハビリは、今やヘルパーさんに引き継がれ、おかげで身体は今もやわらかい。リンパがんにもかかったし、転倒して丸一日気を失ったこともあるが、医学の発展とまわりのケアがなければ、私のような人間は存在できないだろう。脳性まひの特徴である緊張を取る薬も開発され、首の手術をする技術も発達したので、三度も手術をした。

 今年68歳になった。昔2.1あった視力も老眼になり、テレビの音は遠くなり、トイレは近くなった。私が最近日々感じていることは、老人にはおなじみのことだろう。簡単に言うと、障がい者は老化現象が早いだけ。若いころどんなに元気のいい人も、長生きしたら障がい者だ。つらいことだが、それでも私は老いを感じるまで長生きできたことに感謝している。次は身体のどこに老化が来るのか、ちょっと怯えている。心だけは老いたくないと、いつも祈っている。学びたいことや見えている夢をあきらめることが、私にとっての「二次障害」と「老い」だ。

 母は胆管がんと2年間闘って天国に行った。永遠に眠る前に私の顔を見て「ありがとう」と言った。病室でしばらくは二人きりでいたかったので、足元のナースコールを押さないでいた。母より先に死ななかったのが、唯一の親孝行だったかもしれない。あと10年もすれば、私も母の逝った歳になる。一人息子に「ありがとう」と言って眠りたい。

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コラムニスト紹介

小山内 美智子

障害者自立生活センター 札幌いちご会 理事長
前社会福祉法人アンビシャス施設長

プロフィール

1953年生まれ。
障害者自立生活センター 札幌いちご会 理事長。前社会福祉法人アンビシャス施設長。
自身、脳性麻痺で「ケアを受けるプロ」を自認。

2008年 悪性リンパ腫を発病したが、半年の闘病生活を経て、社会復帰を果たす。
北海道大学医学部作業療法学科で教鞭をとるなど、介護教育に力を入れている。

また、著書『わたし、生きるからね』(岩波書店)などほか多数あり。

著書・出版

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