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介護を受けるプロ

第43回 私たちは天使にはなれない     2022/3/29

 私は脳性麻痺者として生まれ、母に大切に育てられてきた。しかし母の手はいつかは消える、そして普通の女性として生きたいと思い、自立生活運動を始めた。20歳を過ぎるとひとりで暮らしたい、恋愛や結婚もしたい、子どもも産みたい、仕事もしたいと思った。デートをしたいので、当時エレベーターがなかった地下鉄にエレベーターをつけてくださいと札幌市に訴えた。その運動のおかげで、札幌のすべての地下鉄の駅にエレベーターが設置された。

 母の手が消えてもヘルパーさんの手で生きられるために、1日24時間ケアがつくように運動を続けた。社会に少しくらい嫌われる覚悟を持ちながら、さまざまな訴えを続けた。今は障がいのない人も、将来障がいを負ったり高齢になったりすれば、私たちの言っていることがわかるだろうと信じていた。

 しかし今、新型コロナウイルスの中でどう生きていったらよいのかを毎日考えている。重度障がい者が入院しても、看護師は治療はできるが、障がい者のケアは慣れていない。そこで去年から日本では重度障がい者が入院したとき、病院にヘルパーさんが付いてもよいことになった。花火をあげたいくらいうれしかった。私は今まで首の手術を3回受け、悪性リンパがんにもなり、皮膚がんにもなった。入院中は生活のことでヘルパーさんがいないと困ることがたくさんあった。それだけに、医師と看護師のケアだけでは治療できないことを感じていた。全国の仲間たちはその運動に命がけで取り組んでいた。

 しかしコロナに感染したとき、私たちはヘルパーさんに「絶対に来てください」とは言えない気がする。43年間障がい者運動をやり続けてきたが、コロナの問題には大きな壁がある。コロナは感染力が強いので、どちらかがかかっていると、うつしてしまう可能性が高い。命を懸けて働きなさいとは言えない。黙ってひとりで入院するほかない。しかしどのように水を飲ませていただくか、どのように寝返りをうつか、私の言葉がすぐに看護師たちに伝わるのかが不安になってくる。ヘルパーさんたちも、コロナにかかった障がい者のケアをするかどうか意見が分かれるだろう。もし私がコロナに感染したら、ヘルパーさんが防護服を着てケアをするのはどうかと考えて実験をしてみた。しかし、実際に行ってみると本当に防護服を着ているだけで安全を守れるのか不安になり、どうすればよいのかわからなくなってしまった。

 だれでも自分の命は大切にしたい、障がい者もヘルパーも天使にはなれないと思う。自分の信じた道を歩くしかないと思う。イエスかノーかは一人ひとりが結論を出していかなければならない。

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コラムニスト紹介

小山内 美智子

障害者自立生活センター 札幌いちご会 理事長
前社会福祉法人アンビシャス施設長

プロフィール

1953年生まれ。
障害者自立生活センター 札幌いちご会 理事長。前社会福祉法人アンビシャス施設長。
自身、脳性麻痺で「ケアを受けるプロ」を自認。

2008年 悪性リンパ腫を発病したが、半年の闘病生活を経て、社会復帰を果たす。
北海道大学医学部作業療法学科で教鞭をとるなど、介護教育に力を入れている。

また、著書『わたし、生きるからね』(岩波書店)などほか多数あり。

著書・出版

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